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連載 第十八話−国連における経験(その1)−

柄にもなく数回にわたり真面目にROOについて書きましたので、今回はがらりと話題を変えて国連について書いてみたいと思います。とは言っても、国連の設立された歴史的・政治的な背景、理念と現実、これまでの業績と反省点など、学者が取り上げるような分野には立ち入らず(立ち入る能力もないので)、筆者が国連職員として12年経験したことを土台として、身の丈に合った話題に触れていきたいと思います。

【国連加盟余話】

1991年はまだ現地(ジュネーブ)に居ましたが、気が付いたら南北が揃って同時に国連に加盟していました(南北とは、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国)。後者は、加盟当初はG77グループのコーディネータとして頑張っており、このお陰で後日単身、ピョンヤンに出張することができました(詳細はセミナーにまつわるエピソードのところで書きたいと思います。)。国連欧州本部があるスイスは、皆さんご存知のとおり永世中立国です。また、国として大事な決定には直接民主制による国民投票を行っている国ですが、過去数回、国連加盟の是非を巡って行われたものの(現地にいるときも1986年に国民投票がありました。)すべて否決されていました。物知りの同僚が言うには、スイスは永世中立国なので国連に加入してしまうと、場合によっては一方の勢力に加担して国連軍の一翼を担うことになるが、それでは中立としての立場を保てないであろう、との由でした。別の人が言うには、スイスは大国ではないけれども、永世中立国としてのイメージを最大限生かすには加盟して中で活動するよりも、外野にいるほうが国連に寄与できる余地が大きいのではないのか、との由でした。ところが、2002年、国民投票を経て加盟してしまいました。あの議論はいったい何だったのでしょうね。日本は1956年12月18日に第80番目の国として国連に加盟しましたが、日本人として是非覚えておいていただきたいことは、1952年に加盟申請を行ったものの当時の冷戦構造を反映して、ソ連が三度にわたり日本の加盟に拒否権を行使したという事実です。悲願の国連加盟を果たしたことの喜びは、翌年の日本の外交三原則に、「自由主義国との協調」、「アジアの一員としての立場の堅持」と並んで「国連中心」が据えられたことからもうかがい知ることができます。

脱線しますが、加盟と言えば、GATTへの加入も締約国数を増やすために簡易な方法もありました。通常は、多くの国と加盟交渉を行って、特に関税の譲許に合意し、加入議定書を作成する手順を踏まなければなりませんが、GATT第26条(受諾、効力発生及び登録)第5項(c)の規定を援用しますと、例えば、植民地であった地域が独立した場合、宗主国がこれを確認しさえすれば当該独立国はGATT締約国になれました。これを簡易手続きと呼んでいますが、何とGATT時代50か国以上がこの簡易手続きで締約国になりました。植民地に関する事柄ですのでアフリカ地域の国が多いのですが、アジアでは、香港、インドネシア、マレーシア、シンガポールに簡易手続きの適用例があります。他方、熾烈な闘争を経て独立を勝ち取ったアルジェリアは宗主国のフランスがOKを出さなかったものと見えて、この簡易手続きが援用されず、GATT時代の1987年にアルジェリア加入作業部会が設置されましたが、現在においても加入を果たせず、WTOのオブザーバーの地位にとどまっています。

【国連の職員規則など】

これは日本でいえばさしずめ「国家公務員法」の中の職員規則部分でしょうか。国連では任用期間の長短によって三種類の規則がありました(多分、この規則は、ILOやWHOなど多くの国連の専門機関において準用されていると思います。なお、GATTはIMF・世銀と共にブレトン・ウッズ体制の一翼を担うこととされていたため、国連の専門機関扱いをされていましたが、現在のWTOには国連とそのような公式な関係にはありません。)。ベネフィットに関する届け出(例えば、結婚、出産、公用出張、ホームリーブなど)は日本の場合庶務か総務担当の人が処理してくれますが、国連では本人がアクションを取らない限り何も先に進みません。それも、本人が申請を忘れて2年が経過してしまいますと、もはや請求は無効とされます(ところが国連側のミスの場合、国連側の請求権に「時効」がないというアシンメトリーな関係になっています。ルールを熟知して自己防衛するしかありません。)。さて、筆者の在籍していた当時の三種類とは、国連との契約が(1)1年未満の場合、(2)1年以上ではあるが2年未満の場合、及び(3)2年以上の場合で職員の待遇も大きく異なっていました。例えば、採用任地への引っ越しを例にとりますと、(3)の2年以上の職員は船便で何と8トン(空路の場合は半分の4トン)の権利が、(2)の1年以上・2年未満の場合は2トン、並びに(1)の1年未満は契約条件の中身を総合的に考慮して決定されると記憶しています。新規採用職員にとって辛いことは、採用の翌日から、すべての規則を承知しているという前提で進み、日本で見られるような採用にあたっての「オリエンテ−ション」などは一切ありません。このため、必死になって規則を繰り返し読んだものです。

国連にも俸給表があります。当時、一般職員はP(professional)1(若手職員)からP5(日本の本省課長相当)まで、その上がD(Director)1(審議官相当)からD2(局長相当)、更にその上がUSG(Under Secretary-General)、ASG(Assistant Secretary-General)、SG(Secretary-General)のヒエラルキーとなっています。一応、職員への評価制度はありますが、P4(課長補佐相当)までは勤務評価に問題がなければ毎年1号俸ずつ上がっていきます。他方、P5以上は2年毎に1号俸上がることとされていました。俸給レベルは、国連本部のあるNYの状況を基本として決められますが、例えば、ジュネーブや東京などCost of Livingが高い都市での勤務の場合、地域調整給でバランスを図ります。生活コストの高低は、公用出張の際の旅費・日当(国連では1日の滞在に要する費用ということでDSA: Daily Subsistence Allowanceという言い方をしていました。これは、同一国においても都市によってレートが異なります。)にも反映され(定期的に見直され、改訂される)、筆者の経験では、例えば、東京が一時期一日396ドル(このため公務による出張は二日間以上認めてくれませんでした。)、ブータンの首都ティンプーで35ドルでした(ホテル代が1日34ドルで足が出ましたが。)。

国連職員になりますと、Laissez-Passer(レセパセ)と呼ばれる独自のパスポートが発給されます。これは、国連の特権及び免除に関する条約に基づくもので、国連職員の公務出張などに対して外交関係に関するウィーン条約に規定する外交官に準じた待遇を国連加盟国に要請するものです。一般職員はライトブルーのカバーですが幹部職員(D以上)には赤のカバーであったと記憶しています。National Passportと一点だけ決定的に異なっているところがあります。レセパセには当たり前と言えば当たり前の話ですが、国籍欄がありません。筆者の勤務中、国連本部を置いている米国がやっとレセパセを認知してくれました。それまでは、National Passportしか受け付けてくれませんでした。一般論としては、途上国で威力を発揮しますが、先進国では日本国のパスポートの方が効果的であったとの記憶があります。ご存じのとおり、ジュネーブには国連をはじめ数多くの国際機関がありますので、多分、これらの国際機関の加盟国すべての代表部が置かれていたはずで、どの途上国に出張しようがビザの取得に困ったことはありませんでした。ビザ取得費用は不要です(Gratis待遇)。

国連の定年は1990年からの採用職員からそれまでの60歳から62歳に2年延長されました。その後、2014年採用から65歳に引き上げる旨の国連決議が出されましたので、現在は、65歳になっていると思います。年休は年に6週間で30勤務日ですが、未使用分は繰り越しが可能で最大60日となります。日本だと労働関係の法律で禁止されているはずですが、国連は職員の退職時に未使用分があった場合、買い上げてくれます。計算式は、「未使用分/261日(年間勤務日数)x 年俸」で求められます。261日の根拠は、1年間365日マイナス104日(52週x 2:土日の休日数)です。国連の職員規則はとても細かいのです。

国連で働く専門職員には残業手当はありません。但し、秘書職員のように物理的に大量の原稿をタイプしなければならないような職員には残業代が支給されます。専門職員には勤務時間内に所要の業務を終える能力があることが前提のようです。これにまつわる笑い話があって、日本の残業勤務体制に順応した民間企業出身の人が晴れて国連で働くようになり、昔の癖で国連でも残業に励んでいたそうです。あるパーティで件の人が自分の仕事に対する打ち込み姿勢を自慢げに話したところ、某インド人から軽蔑された口調で、(平たく単刀直入にいうと)能力がないのではないの、と言われたそうです。筆者の経験からいっても一般職員が自分の担当する委員会の開催中などは別として残業姿を目にしたことはありません。他方、国際機関では概してトップダウン方式で業務が行われますので、幹部職員が土日出勤する姿を見た記憶は何回かあります。

【職員採用など】

国連における職員採用は、基本的にはポストに空席が生じた場合、応募資格条件などを付して公募を行い書類審査ののち面接を行って決定します。雑談で人事担当者から、一つの空席に世界各地から通常三千件の応募があるけれど、資格がなくても応募する人が多いので書類選考は時間がかかって大変だよ、とのことでした。国連本体の場合、人事案件はジュネーブ国連欧州本部勤務の場合であってもNY本部が行います。日本だと新卒採用などは4月からの勤務を考慮した採用試験が一般的ですが、国連にも似たような方式が一部あり、「競争試験」と言われている若手の人材採用です。一般に国連ではスタンダードな応募の資格として、マスター取得者で実務経験が3年程度とされていて日本の教育制度下においては最短でも28歳位になるでしょうか。日本政府は国際機関で働くことを希望する日本人支援のため種々の方策を実施していますが、その政策の一つとして当時は人事院からNYとジュネーブに職員を派遣しており、空席ポストとその内容の情報収集・分析を行っていました。

これに関連しますが、外務省には「国際機関人事センター」という事務所があり、ここでは国際機関における勤務を希望する30歳前後までの若手邦人を毎年25名から30名程度(当時)を選抜して日本政府の費用により国際機関で原則2年の勤務経験を積んでもらい、その後正規職員への途を開くことを目的とした制度(当時はAE(Associate Expert)制度と呼ばれていましたが、現在はJPO(Junior Professional Officer)制度と言われているようです。)を運営しています。ここでは、国際機関における空席情報も発信しています。筆者が勤務していた頃は、国連の資料では約三千人の専門職員が国連本体に勤務していましたが、日本人は100名を切っていました。1ドル360円の時代では国連の幹部職員になりますと当時の総理大臣を上回る俸給であったと聞いたことがありますが、円高になってからは、国連の給料の魅力は薄れてしまい、外資系の企業の方に優秀な人材が流れたとか、また、国際機関で通用するレベルの語学があれば日本の企業でも高報酬が期待できたとかで、国連で働く日本人の数はそれほど増えていないようです。また、JPO制度にしても民間企業で働いている人が応募しても、2年後元の会社に戻ることが困難との話を耳にします。

これは古参のUNCTAD職員から国連の勤務評価制度の一側面について酒の席で聞き及んだもので眉唾ものではありますが、ありそうな話をして今回の終わりとしたいと思います。ある時、できると評判の人が課長で赴任してきて、新しい施策・企画をスタッフ・ミーティングで発表したそうです。ところが秘書がマイペースの人だったらしく課長のペースについて行けず、その年の勤務評定は上のAではなく少々難ありのBを付けられ、これに不満の秘書はトップの事務局長に面会をとり、新課長の理不尽さを訴えたそうです(これは財務省でいえば、若手職員が大臣に面会を求め上司の理不尽さを訴えるのに匹敵する行動と言えますが、国際機関では決して珍しいことではありません。)。その後、秘書はこのような案件を扱うアピール委員会に持ち込み、職務を離脱しました(結論が出るまでの間(平均2年はかかると言われていました)仕事なしでサラリーは出る由)。自分で自分の首を絞めることとなった課長は暫くの間は秘書なしで業務を遂行しましたが、無理と悟り、臨時の秘書を雇用しました。ところが以前よりも非効率な臨時秘書だったらしく、一層困難な状態に陥ったそうです。結局、Aの評定に直して提出して、件の秘書に職務復帰をお願いしたそうです。不満は抱えつつもA評定がまかり通っているという教訓です。

2017年6月26日 掲載
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