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連載 第十九話−UNCTAD雑感・国連余話−

筆者は40年前に当時の大蔵省関税局国際第二課に勤務して、国際商品協定(コーヒー、砂糖、ココア、小麦などの一次産品がありました。)など、南北問題に関連する途上国問題を担当していました。これが退職まで関与することとなるUNCTADとの付合いの始まりです。突然ですが、GATTは、関税以外の措置、例えば、輸出入割当て、輸出入許可その他の措置による数量制限の導入を一般的に禁止しています(第11条)。国際商品協定の経済条項には、市況が低迷している場合、市況回復対策の選択肢の一つとして輸出割当制を導入して市場への供給量を絞り、市況の回復を図るメカニズムがありました。他方、GATTは、第20条に「一般的例外」規定を置いて、このような場合をGATT違反とはせずに救済しています。即ち、同条(h)に「締約国団に提出されて否認されなかった基準に合致する政府間商品協定又は締約国団に提出されて否認されなかった政府間商品協定のいずれかに基づく義務に従って執られる措置」はGATT規定適用の例外とされました。例えば、国際コーヒー協定には輸出割当制が設けられていましたが、米国はこのような制度の導入は市場メカニズムを歪めるものであるとして、この協定には入りませんでした。

GATTが出たついでに、2017年2月22日に発効したWTO・GATTの「貿易円滑化協定」について触れます。この協定の大部分は税関手続きに関するものですが、極めて精緻に細部まで網羅した税関手続きの国際スタンダードがWCOの「改正京都規約」として既に実施されています。それではどうしてWTOが貿易円滑化協定策定にこだわったのでしょうか。その一つの理由として、WTOの重要な国際貿易システムに紛争処理手続きが手当てされており(第22条及び第23条)、紛争処理小委員会(パネルのこと)における審理を経て加盟国による特定の措置の是非についての裁定が下されることが挙げられます。これに従わない加盟国に対しては、WTO紛争解決機関(DSB: Dispute Settlement Body)が容認する対抗措置をとることができるようになっています。このような強制的な仕組みはWCOをはじめ他の国際機関には見られないものです。つまり、貿易円滑化協定のある税関手続き規定を履行していない加盟国政府(税関当局)はいつでもWTOに訴えられる可能性があるということです。このことによりWTO加盟途上国がこの案件に乗り気でなかったというか、反対して交渉が長引いた理由の一つに挙げられています。WTO提訴の可能性を減じる方策として、途上国は、解釈の余地を広げるために条文を一般的な表現にするよう努めました。今後のこの協定の実施に際してWTO紛争手続きがどのように関与するかの帰趨を注目していきたいと思います。

閑話休題。現在でも変わりはありませんが、国連システムの中で途上国を対象とした南北問題を扱っていたのは、他ならぬUNCTADが唯一の国際機関でした。1970年代初頭、資源ナショナリズムが勃興してOAPEC、OPECの成功に続けとばかりに途上国が世の中の経済秩序に挑戦しましたが、その表舞台がUNCTADでした(1973年の第1次オイルショック後、世界経済は大きく混乱しましたが、南北問題も一つの契機となって先進国首脳会議(いわゆるサミット)が1975年から開始されました)。今回はそんな当時の話をしたいと思います。

当時のUNCTADの隆盛を東京と現地で垣間見てきた筆者には、現在のUNCTADは牙を抜かれたライオンのようにしか見えませんが、当時途上国は、次々とラディカルな政策を打ち上げました。例えば、天然資源の恒久主権の獲得、輸入代替策の採用により先進国依存を断ち切る(インドが一時的に採用した後に断念したように、輸入代替策は不効率な生産者のみを利するという理由で現在は否定されています。)、自国船団を立ち上げて貿易に専従させる、一次産品18品目の価格安定のための緩衝在庫をファイナンスする共通基金(Common Fund)の設立などです。無茶な要求の例としては、途上国から先進国への頭脳流出(Brain Drain: 医師・弁護士・教授など高度な知識・技術を有した人材の流出)に係る経済的損失への補償がありました。これらの施策の理論的なよりどころを、いわゆる「新国際経済秩序(NIEO: New International Economic Order)」に見出しました。このアイデアは、突き詰めると、先進国から途上国への所得の継続的移転を保証するメカニズムの確立を目ざすものでありましたが、最大の欠陥は、一方的な所得の再分配を求めながら、再分配された所得の増分がいかにして途上国自らのsustainableな「所得創出能力」を高めるかについて、明確かつ説得的な処方箋が示されていなかったことです。エコノミストではないので受け売りをやめて、メッキが剥がれる前にこのあたりで話題を変えましょう。

当時経済企画庁からバリバリのエコノミストがUNCTADに出向されていまして、筆者は経済理論一般・国際経済についていろいろ教えていただきました。氏は常々「3年間の出向期間中、NIEOに関する論文を一本仕上げればいいのだ。NIEOは理論的に正しい。」と豪語されていました。氏はその後東京に戻り、同庁の旗艦文書である「経済白書」の執筆者になりました。

今から思いますと、当時の途上国が展開した議論は、誤解を恐れず例えて言うと、子供の論理のような気がしています。つまり、「世の中が悪いのは大人のせいだ。」という例の主張で、「大人」を「先進国」に置き換えたような議論であったということです。以前、UNCTADの議論形式はグループ毎に行うと簡単に触れましたが、グループとは、途上国(グループA・C、一般にはG77と呼ばれていた)、先進国(グループB)、共産主義圏(ソ連と東欧圏のグループD)でした。当時の議論では、一次産品、製品・半製品、海運、援助など、分野ごとに色々な主張がありましたが、その根底にあるものを突き詰めていきますと、次のように簡素化されると思います。

G-77

南北格差は是正されるべし。このため、現在の世界経済秩序を途上国に有利なようにゲームのルールを変えるべし。

G-B

突飛なアイデアを出されるのは結構だが、市場メカニズムに反するいかなる試みも失敗に帰することを指摘しておきたい。

G-D

我々は計画経済を基礎としているので(Centrally-planned Economiesと言っていました)、世界経済に悪影響を及ぼさない。世界経済の混乱は経済の計画性を有しないG-Bの責任であることは明白。

筆者は、GSPというどちらかというと「実務」的な分野の担当で、特に先進国の特恵供与国との良好な関係の維持が求められていました(途中から上司となった米国人からは、UNCTADでGSPを担当する職員は、先進国出身者でないと上手く回らないと常々言っていました。)。このため、政治的な争いには大きく巻き込まれませんでした。一方、苦い思い出は、他局の一次産品部が衝撃的なペーパーを書いて、特に日本批判を展開(日本の農産品の関税率が高いという研究報告で、基本税率化している暫定税率を使用しないで、例えば、当時のたばこの基本税率355%を使用)して、これが日本経済新聞の第1面に載ってしまったことです。関税率の案件でしたので、関税局から正式な抗議のため出張者がありましたが、関税局出身の日本人ということもあって、部長からの指示で筆者がこのペーパーの執筆者である豪州出身の研究者との調整、面会の取付けなどを行うこととなりました。先方は、「Temporaryな税率を基礎としたリサーチではなく他国はすべて恒久的な税率で行っているので、日本のみ特別扱いは出来ない。ただ、日本の事情も理解したので、脚注にその旨書き込みたい。」ということになりました。今思い出しても後味の悪い案件でした。

これはもっと積極的に関与しておくべきであったという反省の話ですが、税関業務の電算化の走りともいうべきシステムがUNCTADで開発・運用されていました。世界80国か国以上で使用されているASYCUDA(Automated System for Customs Data)がそれです。東南アジアでも広く活用されており、例えば、フィリピン税関の電算システムも、実はASYCUDAの改良型です(ご存知のとおり、日本のNACCS型は東南アジアでは、ベトナムに続きミャンマーで稼働中です。)。後で知ったのですが、当初は、フランスの会社がUNCTADに話を持ち掛け、主に、西アフリカのfrancophone(フランス語圏)を対象に共同開発したそうです。その後、進化を遂げ筆者がADBの現役だった頃には、マレイシアにUNCTAD・ASUCUDA技術協力事務所がありました。UNCTADではシステムの最初の据え付け(installation)は無料でおこないますが、その後のメインテナンス費用は使用者負担となっています。

一方、これは笑い話と言ってもよいと思いますが、1990年代初頭にカンボディアに出張した時の話です。既に撤収されていましたが、現地では依然としてUNTAC(United Nations Transitional Authority in Cambodia: 国際連合カンボディア暫定統治機構、UNTACの事務総長特別代表には、国連事務次長だった日本の明石康氏が就かれました。)が大人気でした。現地の人に筆者はUNCTADから来ていると説明するのですが、その度にUNTACと聞き返され、しまいには、滞在中はUNTACでとおしました。ジュネーブでは日本料理店が限られておりますので、明石氏やUNHCR(United Nations High Commissioner for Refugees: 国連難民高等弁務官)であった緒方貞子氏をみかけるのも困難ではありませんでした。

国連の公用語は五か国語でした。1973年にアラビア語が追加されました。オイルマネーの力と言われますが、そうした面はあるでしょうけれど、事情通によれば、当初は、国連に通訳費用の半額を数年支払っていたそうです。その後、正式に公用語に指定されました。支払いと言えば、国連の分担金を2年間滞納しますと、投票権が失われます。米国は、駆け引きの材料の一つとしてぎりぎりまで支払いを遅らせるという話を聞いたことがあります。日本も、最近UNESCOへの分担金支払いで似たような行動をとりました。

これは国連の公用語に絡んだこぼれ話です。1987年にUNCTADの4年に一度の総会がジュネーブで開催され、外務大臣であった故渡辺美智雄氏が羽織袴姿で演説されました。日本語でされたのですが、実際、六か国語の国連公用語にはどう通訳されたと思いますか。正解は、某日本人UNCTAD職員が日本語による演説に合わせて、翻訳した英文を読み、他の5ヶ国公用語の通訳はこの英語をベースにそれぞれの公用語で通訳したのです。

今回は次の一文で締めたいと思います。UNCTADは先進国に対し異常とも思える程過大な要求をつきつけました。本来は、それと同等に、いやそれ以上の情熱をもって途上国に対し自己の経済改革の必要性とそのための処方箋を示すべきでした。現在のUNCTADの「地盤沈下」の原因は、この辺にあると思えてなりません。

2017年7月5日 掲載
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