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連載 第二十三話−ジュネーブで暮らしてみて(その3)−

【日本人にとってジュネーブで暮らすには】

この小見出しのキーワードは、一つの考え方・切り口として、日本人にとっての現地における「衣食住」事情が基本となるのではないでしょうか。ジュネーブは標高五百メートルを超える位の山地に位置していますので天候が目まぐるしく変わります。一日の天気予報では大体晴れから雨にまで及ぶことが稀ではありません。日本のように四季はありますが、基本的にカラッとした湿度のない気候ですので直射日光に照らされてもしのぎやすく感じられます。春にはライラックも咲き誇り、感覚的には筆者が育った北海道のようです(緯度的にも同程度と思います)。例外は冬(零下15度位になります)で、レマン湖の水分が蒸発して上空に厚い雲となり停滞して鉛色のどんよりした気が滅入る世界となります(ドイツ人の同僚が言うにはドイツの鉛色の長い冬こそが数多くの偉大な哲学者を育んだのだとの由)。この時期になりますとまさに空気が重く感じられます。ジュネーブ近くにはジュラ紀にできたのでジュラと呼ばれる山並みがあり、冬はここのスキー場の山頂に行かない限り、ジュネーブでのお天道様は拝むことが叶いません。ということで「衣」は、天候の変化に順応できるだけの柔軟性を持って対応するということになると思います。

「食」については、当時、日本食材専門店(日本人経営)はジュネーブで一軒だけでした。航空運賃のせいもあるのでしょうが、大雑把に言いますと、日本で売られている値段の最低三倍はします。近郊のフランス側にはベトナム食材店があってそこにも種類は少ないのですが日本食材も幾分安く置いてありました。通常の野菜や果物は手に入りますが、見かけなかったものはやはり「牛蒡」、「レンコン」でした。日本特有の食材、干しシイタケ、昆布、ワカメ、海苔などは軽いので日本に行った時に多めに買い出しをしていました。昔、名古屋に出張した際、S食品工業を訪問する機会があり、粉末酒、粉末ウィスキーを知りました(この新商品開発のため、酒税法が改正され、第2条の酒類の定義に「溶解してアルコール分一度以上の飲料とすることができる粉末状のものを含む」が追加されました。)。例えば、アフリカ在住の邦人への手土産には軽くていいのですが、厳格な禁酒国の、例えば、サウジアラビア税関にとっては甚だ迷惑な新発明だったことでしょう。実際に日本の某新聞社報道社員が写真現像のための粉末を入国の際、サウジ税関で詳しく検査されたとの新聞記事を読んだ記憶があります。

これまた昔の話で恐縮ですが、1976年当時の総理府主催の「青年の船」に乗船し、下船地の一つとしてパキスタン・カラチを訪問する機会がありましたが、アルコール類は市内で普通に売っていました。ところが、UNCTAD在勤中にセミナーで出張しましたら、非イスラム外国人はパスポートを提示してアルコールの一日分の割り当て(daily quota、ビール小瓶2本又はウィスキー20cc)の配給を受ける制度が導入され、ホテル内の外からは見えない隔離された一画で飲んだものです。上司の米国人には足りる訳がなく、在カラチ米国領事館の知人から調達していました。ここでのセミナーに参加したノルウェーの専門家(外交官)は、上司と旧知の仲でしたのでしっかりウィスキー二本持参してきました。上司が喜んだのは言うまでもありません。逸れたついでに、国連の職員規則では課長級以上の職員が公用出張する場合、出張期間中の宿泊・食費のレートに15%分上乗せされます。この増額分は上司の場合、出張中に必ず一回は飲む機会を設けて他のメンバーにこの上乗せ分を「還元」してくれました。

脱線してしまいましたが、日本人が必要とする食材三点セットの「味噌、米、醤油」について値段はともかく現地で調達可能でした。日本食レストランは2-3軒しかなく、物価が高いので「天ぷらうどん」一杯で邦貨換算2,700円しました。我が家一家でうどんだけで1万円を超してしまいます。日本人にとっては、イタリア食レストランでパスタ類、ピザ類がお手頃と思いました。高級レストランでは幼少の子供連れは敬遠されがちですが、庶民的なピザ屋さんであれば神経も使うことはありません。最後に住んだコンドミニアムの一階がピザ屋さんだったので週に一回は子供に買いに行ってもらったものです。

ワインも最初はピンからキリまで一応試しました。日本政府代表部では収穫期に複数のワイナリーを巡るツアーがありましたが、国連職員にはなかったと思います。試飲した結論としては、ワインは自分との相性に尽きるのではないかと思います。やはりフランス産のものが種類も豊富で手ごろな値段でした。自分の口に合うものは(日本の牛乳のように)パック売りの二〜三百円のワインも飲んでいました。ワインでは苦い思い出があります。最初のジュネーブ勤務から帰国する際、3ダースのワインを持って帰りました(一本当たり高い順から免税枠を適用し、4本目から課税となりますが、心配することはなく一本百円位の関税額だったと記憶しています)。ケチな性格から安いものから先に消費していましたが、そのうち梅雨が過ぎ、秋口から数本になった高い方に手を出しましたが、すべて「酢」(ワインビネガー)に実質的な変更が加えられていました。この変更によって原産国は日本になるのかどうかを思案するより先に、自分の愚かさに腹が立ったものです。

「住」については、ジュネーブは外国人にとっては一軒家の購入に関して種々の規制があるとのことで、また、価格が東京並みに高いので富豪は別として、一般人には賃貸となります。国連をはじめ各種の国際機関がありますので供給の方もそれに対応していましたのでまあまあ十分あるかなと感じられました。日本がバブル期にあった時は日本の証券会社十社以上から駐在員が滞在されていたと記憶しています。3-4年の滞在期間が終わりますと、関心事は入居した際に支払った保証金(家賃の1-2か月分を賃貸部分への損害の可能性を考えて支払うもので、退去時に代理人の厳しいチェック後、損害があればその分が差し引かれて返却される。備品(inventory)も入居時のリストをベースに厳しくチェックされる)の帰趨です。幸運にも筆者は賃貸していた物件を引き払う際、3軒とも大きな損害もなく満額戻ってきました。この仕組みは基本的にフィリピンでも同じです。

当地に住んでみて、スイスは保険の国だなと感じたものです。これは別の回で詳しく書きたいと思っていますが、ジュネーブ空港で筆者のアタッシュ・ケースが盗難にあった時、また、子供が玄関のガラスを自転車で割った時など全て保険でカバーされました。二度目に住んだ所では、次第に衛星放送がポピュラーになってきた時期にあたりましたが、受信のためのディッシュ(受信装置)を据え付ける必要がありました。勝手には据え付けることは出来ないので村の自治会に申請を提出して許可を得ましたが、極力壁の色に近いディッシュを購入するよう条件が付けられました。今となっては隔世の感がありますが、一日たった2時間のNHK日本語放送を受信するための投資でした。今は、インターネットで日本の各チャンネルを見ることが出来る時代です。

国連の場合ですと、出向と言うよりは常勤職員の割合が多いせいか、フランス側に一軒家を購入する人が多くいました。当時で、例えば、600平米の土地に普通規模の家屋の建売で場所にもよりますが平均価格で邦貨換算1,800万円内外でした。感覚的には、国連職員の約4割はフランス側に住み、勤務日は国境を越えて約30分位の通勤生活を送っていました。蛇足ですが、ジュネーブに近いフランス側では、需要がありますのでNovotelなどのホテル・チェーンがあって、場所によってはジュネーブ市内(国連まで通勤可能)までスイスのバス会社が運行していました。車での旅行者や割安にホテル代を仕上げたい旅行者にとっては、ジュネーブ市内に宿泊するよりも便利だと思います。

【ジュネーブ日本人会】

ある程度の数の日本人が暮らす外国の大都市には「日本人会」が設立されるのが普通です。マニラ在住の時には子供が小さかったこともあって、日本人会が企画し定期的に実施された予防接種サービスが必要不可欠であったため直ちに入会したものです。ところが、ジュネーブにはありませんでした。現地には日本政府の出先機関として、ジュネーブ代表部、ジュネーブ領事事務所及び軍縮代表部がありました。国際機関等に勤務する邦人やその家族も結構な数に上ると思料され、大使館・領事館と協力する形で日本人会が組織されてもおかしくないのではないかと思っていました。多分、スイス・ジュネーブと言う治安・衛生面において心配のない特殊性から存在しないのかと思い、領事事務所のさる方に伺ったことがあります。思いもしなかった返事だったのですが、当時、UNCTAD、GATT、ITC(International Trade Center、国際貿易センター、UNCTADとGATTの協力によって設立され、国際マーケティングを主要な活動分野とした機関。当時はスウェーデン政府がITCの活動に多額の任意拠出金を提供していたため、トップは常にスウェーデン人が務めていました。このため、我々はSwedish Trade Centerと陰口をたたいていました。因みに、米国人上司の奥様がITCのNo.2の秘書をされていました。)や国連専門機関にも課長級以上の邦人職員が勤務していました。それらの方々は、自分の実力で今の地位を勝ち取ったとの自負心があり、それぞれが後塵を拝することを嫌うという状況にあったとのことでした。このような環境では、誰かを日本人会のトップに据えますと、全体として円滑な運営が期待できないということで、過去3回位設立の動きがあったそうですが結局実現までには至らなかったようです。

【ジュネーブ国際空港】

世界の飛行場は大型化されてきて一つの飛行場の中にいくつものターミナルが設置され相互間の移動に歩く距離も増え従って時間がかかるようになりました。またこのことは首都近くの用地獲得が困難となり勢い郊外型となり到着してから都市の中央までの移動にも時間がかかります。こうした例は日本の成田をはじめ、韓国の仁川、英国のヒースロー、フランスのシャルルドゴールと枚挙にいとまがありません。この点、ジュネーブ空港は例外と言って良いでしょう。空港から10分も車で走れば市内中央部に入ります。この空港は実はフランスとスイスに跨っています。このため、旅客は到着後フランス側にもスイス側にも出ることができます。例えば、パリからエアフランスでジュネーブ行に乗りますと国内便扱いとなります(勿論、この場合であっても、空港内の「国境(税関事務所)」を超えますとスイス側に出ることができます。)。多分、日本でも同じとは思いますが、数日間の旅行で空港まで車で行きますと、ジュネーブ空港では駐車場の遠目の特別の一画に停めますと割安の料金で済ますことができます。最初は知らなくて空港の出入り口近くに停めて割高の一般料金になったことがありました。

跨ることの話が出たついでに、ジュネーブ空港近くには、地下に全周27kmの円形加速器を擁し、2002年のノーベル物理を学賞した小柴教授も在籍した欧州原子核研究機構(セルン、CERN、the European Organization for Nuclear Research、フランス語名称である Conseil Européen pour la Recherche Nucléaireの頭文字に由来します)が両国間に跨ってあります。CERNは素粒子・原子核物理核研究で有名ですが、ジュネーブ日本語補習校で知り合った邦人の研究員と知り合いになりました。筆者は文系ですので彼の研究対象の話を伺ってもチンプンカンプンで理解を超えるものでした。

今回は、空港にひっかけまして、アラブ貴族御一行が自家用機を使いジュネーブで買い物をする様子の一断面に触れて終わりにしたいと思います。御一行が貴金属店、高級スイス時計店などに分散して入店しましたら、先方も心得ているようでしてすぐに店のシャッターを閉めます。雑音を入れず、お買い物に専念して頂くためです。日本にもこの3月にサウジアラビアから王家御一行千人以上が来日して話題になったことは記憶に新しいと思います。

2017年8月14日 掲載
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