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連載 第二十四話−ジュネーブで暮らしてみて(その4)−

【車旅行】

高校三年生18歳の夏休みに普通運転免許を取得して以来、半世紀近く運転しています。時には右ハンドルで、時には左ハンドルを握っていますが、現在は、マニラで左です。英国文化の影響の強い国々では右ハンドルが多く、例えば、インド、パキスタン、ミャンマー(現在は右側通行となっていますが、日本からの中古車が多く流通しているため右ハンドル車が多く走っていて、慣れないと違和感があります。)、タイ、マレーシアなどです。欧州大陸では、おしなべて左ハンドルです。人間は右利きが大多数と思われ、シフトレバーを右腕で操作することのできる左ハンドル車が理にかなっているのかなと思っていますが、皆さま如何でしょうか。

スイスは欧州の中央には位置していないのですが、スイスから東西南北に車で旅行することができます。筆者、決して運転は嫌いではなく同乗者が寝ていようと運転に支障となることはありません。ドイツはご存知のように速度無制限と言われていますが、通常の時間帯では高速道路であるアウトバーンは結構交通量がありますので、無制限と言うわけにはいきません。一般に、アウトバーンから一般道に抜ける道は結構なカーブになっていますので、減速しておかないと、急ブレーキをかける羽目に陥ります。スイスは運転マナーが良いので日本人はすぐに順応できます。制限速度は120キロくらいで、一度スピード違反で警察から呼び出しを受けたことがあります。スイスでは雨・雪になりますと昼間でも必ずフォグランプを点灯して走ります。フランスでは130キロ速度制限くらいですが幹線の高速道では皆150-160キロ位で走っています。フランスで登録された自家用車は黄色のヘッドランプを搭載していますので、夜間はすぐ区別がつきます(スイスは白色)。また、フランスではナンバープレートにそれぞれの行政区番号を付しますので、それに詳しい人はどこから来たのかがわかります。例えば、ジュネーブの隣はアネマスで1番、パリ地区は75番です。スイスは県名を二字で示します。例えば、ジュネーブ県はGE、隣のヴォ―県(Vaud)はVDなどです。

因みに、筆者が課長代行になった時のプレートが、「CD・GE・375・01」(一枚は返却しないで、現在、マニラの部屋に飾っています)で、最初のCDはCorps Diplomatiqueの略で外交官(待遇)を意味し、最後の01は大使館・代表部・国際機関の区別をするための番号で、01は国連を意味します。つまり、このプレートの所有者は、ジュネーブに住む外交官待遇の保有者で国連に勤務し、CD資格保有者のうち375番目ということになります。それ以前の職員時代は、GEで始まる一般車用のプレートでした。因みに、日本政府代表部は13番、WTOは08番を付していました。これで運転者の所属機関が判明します。CDが付きますと免税で給油できました。市販価格の半分以下だったと記憶しています。問題は、ジュネーブやベルンには指定された免税給油スタンドがありますが、スイスでも田舎に行きますと見かけたためしがありません。

閑話休題。ジュネーブ滞在当時、乗った三台ともディーゼル車でしたが燃費が良かったので700キロ位は補給なしに走行できました(一般にエンジンが発生するエネルギーのうちガソリン車は全エネルギー量の四分の一、また、ディーゼル車は三分の一を駆動輪に伝えることができると言われています。このため、ディーゼル車の方が燃費の面では良いといわれています。)。例えば、満タン状態で走りますと、パリには無給油で着きます。パリには数回行きましたが、7時間位かかったでしょうか。北は英国スコットランド・ネス湖まで、南はイタリア・ピサの斜塔まで、東はウィーンまで、西はマドリッドまで車で足を延ばしました。そのハイライトは次の通りです。

ジュネーブからパリ郊外経由で約950キロ走るとドーバー海峡を渡るための拠点、カレー(Calais)に着きます。ここから少し東側に走りますとベルギーに入ります。カレーからフェリーでドーバーに渡りますが、ドーバーに入ると暫くは大陸の右通行から英国の左通行に慣らすための注意書きがありました(確か英仏二か国語で表示されていました。)。大陸から英国に入りますと1時間の時差がありますので、入国日は一日が25時間となり1時間得をした気分になります。ドーバーからロンドンに向かう途中少し横道にそれてケントのサンドウィッチ伯爵の所領であった「サンドウィッチ(Sandwich)」に立ち寄り、試食しましたが、別にという感じでがっかりしました。北上する途上で比較的ましな食事のできるロンドンに立ち寄りますと、ネス湖まで行く意欲が失われることを恐れて寄ることなくロンドン郊外を抜け、サイモンとガーファンクルで有名な曲の一つである「Scarborough Fair」の港町スカーブラに行きました。これまた別にといった感じで、特別の記憶はありません。

順番が逆になりましたが、基本的なところで英国においては米国と同じで時速がマイル表示であり大陸のキロメートル表示とは異なります。英国内では高速道路網(Mに番号が付く、一般に時速70マイル制限(112km/h))や、幹線道路網(Aに番号が付く、制限速度は時速60マイル(96km/h))が発達しておりますが、料金を支払った記憶はありません。従って、目的地の最寄り地点までMで行きAに下りて、市街地であるB級道路網に入るのが所要時間節約の鍵です。道路地図は見やすく、user friendlyでありました。モータリゼーションの発達に伴って宿泊施設のインフラも完備されて、当日でも宿泊予約可能なB&B(Bed and Breakfast、日本で言う民宿かもしれません)が割安で訪問先のどこにでもあって重宝しました。但し、名前が示す通り基本的に朝食しか出ません。

更に北上し、スコットランドにあって大学や城で有名なエディンバラに立ち寄り、産地であるスコッチウィスキーを購入しましたが、期待に反して決して安くはありませんでした。スコットランドの入り口と言っても良いと思いますが、首のような地形で東西が一番狭いあたりに、ローマ帝国時代に築かれ帝国最北端の国境線であった「ハドリアヌスの城壁又は長城」の遺跡を通過することができます(マニラでは時間がありますので塩野七生女史の文庫版「ローマ人の物語」全43巻を3回読み返しましたが、この物語にこの城壁が詳しく書かれています。)。ここまで来ますと、ゴルフの発祥地でゴルファーの聖地とも言われ、また、定期的に全英オープン(The Open)が開催されるセント・アンドリューズまで足を延ばし、クラブハウスの売店で記念に独特のパターンを有するセーターを買い求めました。折角ですので、ちらっとコースを覗きました。予約しておきますと、記念に数ホールプレイできると聞きました。

この先、更に北上を続けてインバネスまで行きますと、ネス湖の東側の起点となります。当時はまだネッシーがいると信じられていて、「ネッシー博物館」にも立ち寄りました。細長いネス湖に沿って西側に行きますと湖水地方(Lake District)に出ます。途中、羊の群れと蕨の大群に遭遇しました。今度は南下を続け、ビートルズが誕生した町リバプールを通過し、ウェールズの最西端の「地の果て」の町、Land's Endに行く予定でしたが、日本人の口に合う食事にありつきたくて、予定を変更しロンドンに向かいました。日程が余った分は、一旦ジュネーブに戻りウィーンに行きました。

その次の機会の訪英には、英国南部のサザンプトンにも立ち寄り、当時、この都市の某大学に留学中で現福島市長のK氏とアフタヌーンティーを楽しみました。ここからイギリス海峡に突き出すコタンタン半島先端に位置する港湾都市「シェルブールの雨傘」で有名なシェルブールまでフェリーで渡り、この半島の根元近くにある旅行者必見のモンサンミシェルを見学し名物のふわふわオムレツを食しました。

この回は当時ジュネーブで流行った二つの(ブラック)ジョークで締めくくりたいと思います(米国人上司の受け売りですが)。一つは旧ソ連のアフガン侵攻後のもので、ある米国人との会話でした。「米国人:我々は普通年に一・二回はバカンスで海外に旅行するよ。ソ連人:我々も旅行するけど、そんなに多くは行けないな。出かける時はタンク(戦車)だけど。」もう一つは、スイスには海がないのに湖が多いせいか海軍大臣職が設置されていました。他方、当時のフランスの大蔵大臣の手際が必ずしも良くなかったことを皮肉ったものです。「スイス人識者(フランス人の友人に向かって):君たちは我々の海軍大臣が訪仏した際、嘲笑したらしいけど、我々スイス人は君達の大蔵大臣が来たときには嘲笑しなかったぞ!」。

2017年8月25日 掲載
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