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連載 第二十五話−ジュネーブで暮らしてみて(その5)−

【車旅行】(続き)

オーストリアのウィーンには、ジュネーブから北上して首都ベルンを経てドイツのアウトバーンに入りシュツットガルト、ミュンヘンを経由してザルツブルグで一泊しました。ここはモーツァルトが25歳まで住んだ町(記念館があり、彼が使用した小型のピアノや遺髪も展示されていました。)、ザルツブルグ城、近郊のバートデュルンベルク岩塩抗(地底の塩田。なお、ザルツブルグとは、「塩の城」の意です。)が有名です。ここから約300キロで首都ウィーンです(欧州は余程のことでもない限り渋滞はありませんので、1時間100キロは走れるとの前提で計画を立てることが出来ます。)。当地は、ハプスブルグ帝国の牙城で華麗な庭園を有するシェーンブルン宮殿がありますが、国際機関も多く置かれており、例えば、国際原子力機関や国連薬物犯罪事務所などがあり、後者には、関税局からの出向者がいたと記憶しております。ウィーンは音楽の都でもあり、ベートーヴェンをはじめ多くの作曲家を輩出しました。

滞在中感じたことは、ウィーン市民は子供に極めて寛大・親切であったということでした。家族旅行していてなんの問題もありませんでした。UNCTAD公務中、ウィーンに関しては二つの思い出があります。一つは隣国スロバキア共和国首都ブラティスラバへの出張後、出張者全員タクシーで国境を越えウィーンまで行ったことです。当時はまだ冷戦中で、東西陣営の境目の国同士なのでスロバキア側の国境では兵士を見かけました。1992年にチェコ共和国とスロバキア共和国に分離する前はチェコスロバキア共和国でした。分離後、友人からこの両国は関税同盟を結んでいるので経済的には依然と変わらないということでしたが、今回、色々調べたのですが確認が取れませんでした。もう一つはラ米からの出張の帰途、チューリッヒ経由でジュネーブに戻る経路で予約を入れていましたが、チューリッヒ空港が大雪とのことで急遽ウィーン空港に着陸となり、ここからジュネーブに戻りました。欧州は航空網が発達していますのでこのような事態になっても代替策があって安心です。これがアフリカですと、そうは簡単には行きません。

ウィーンに行くまでは一日の運転の最遠というか最長距離はジュネーブ・カレー間の約950キロでした。それで、新記録達成のためウィーンからジュネーブまで直行を決め、11時間かけて約1,100キロ走破しました。家族はほとほとあきれていましたが、さすがにジュネーブ手前のローザンヌあたりから(止めるわけにはいきませんが)運転が嫌になりました。オーストリアからスイスに入る途中でリヒテンシュタイン公国を通過したはずなのですが、運転に夢中で全く覚えていません。途中、オーストリア最長のトンネル12キロを通過したのは覚えています(有料でした。因みに、ジュネーブからシャモニーを抜けモンブランの下のトンネルを超えるとイタリア側に出るのですが、確か11.5キロの長さだったと記憶しています。)。

スペイン行きもご多分に漏れず運転の連続でした。ジュネーブからローマ帝国時代からの都市リヨンを経由して南下し、国境を越えスペインに入り地中海を左手に見ながら山の上から遥か遠くにバルセロナの大都市が見えてきます。絶景です。ガウディの制作によるサグラダファミリアの周りを走りました(中に入って見なかった後悔の念から退職して二回行きましたが、依然として未完成なのでした。)。車での旅行は突発的に何か起きるとホテル予約のキャンセルなど予定の調整が必要になりますので、ホテルの予約は、バルセロナ、グラナダ、トレドとマドリッドのみとし、これらの途中地点ではその日に到達した町で宿泊を決める柔軟なやり方としました。

地中海をバルセロナからポルトガル方面に向けてバレンシア・オレンジが続くバレンシア(フレッシュ・ジュースが安くて美味しい。)を抜け、欧州退職者の憧れの温暖海岸コスタデルソルを通過し、アルハンブラ宮殿で有名なグラナダに入りました。コスタデルソルで思い出すのは、UNCTADセミナーに参加して頂いたスウェーデン人専門家が退職後、同地に別荘を購入したことです。北欧では夏季は白夜ですが冬季は太陽を拝めない日々が続きます。この専門家は、北欧に住む人々にとって地中海地方は憧憬に近いものだと述べていたのが印象的でした。 ご存知のとおりスペインはアフリカから渡ってきたムーア人によって数世紀にわたり支配されてきましたが、城塞アルハンブラ宮殿はイスラム王朝の最後の牙城となりました。その後のキリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ)によりムーア人は北アフリカに撤退を余儀なくされましたが、宮殿そのものはアラブ文化の建物にキリスト教文化を移植するという両文化の折衷的なものとして残されました。洞窟を改造して作られた舞台で演じられるフラメンコは必見です(眉唾物かもしれませんが、一説にはグラナダの奪還にはジプシー集団がいわばスパイのような働きをしたと言われており、時の権力者からグラナダでの定住と洞窟でのフラメンコ上演を許されたとありました。)。ここでトレドに向け出発のため駐車場に行きましたら、一台の車の後部座席の窓ガラスが割られ、車上荒らしにあっていました。自分の車をしっかり点検したものです。

一度行かれた方は賛同されると思ますが、マドリッドは本当に大きな都市です。当時、カーナビもない時代にスペイン語も知らず、車で行って自分ながら予約したホテルをよく探し当てたものと感心しています。ジュネーブ時代に生ハム、チーズとワインは好きになりましたが、スペインではイベリコ豚の生ハムが賞味できます。現地では、「Bar(バルと発音するようです。日本で言う居酒屋に近いイメージです。)」で各種揃った生ハムを量り売りしてくれます。生ハムは、イタリア・パルマ産のプロシュットやスペイン産のハモン・セラーノが有名ですが、筆者には前者が少し湿っていて、後者のスペイン産のより乾いた方が好みに合うかなと思っています。市内にあるプラド美術館では、パブロ・ピカソの名作絵画やゴヤの「着衣のマハ」を鑑賞することができます。同じく市内のソフィア王妃芸術センターでは、ピカソの最高傑作「ゲルニカ」を鑑賞することができます。

滞在中、家族連れなので早めの夕食に日本レストランに行きましたが、運よく、奥の席が空きましたので、待つこともありませんでした。そのうち、入り口近くの席で大声が上がり、「バッグを盗まれた。パスポートが入っていた。」と叫んでいました。多分、今まで気を張っていたのが、周りが日本人で日本レストランと言うことでホッとして気を抜いたのだと思います。その隙をつかれたのでしょう。筆者は旅行中外出するときはパスポートのコピーのみ持参し、オリジナルを持って出ることはありません。筆者もUNCTAD勤務中94ヵ国への公用出張で3回盗難にあい威張れたものではありませんが(次回に詳しく書きたいと思います。)、くれぐれも旅行中は気を付けたいものです。

スイスには高級スキーリゾートとして有名なサンモリッツがあり、山岳地帯としてはマッターホルンを擁するツェルマットやユングフラウヨッホのあるグリンデルワルトが著名です。ある時大蔵省からの出張者を休日にツェルマットに案内した際、マッターホルンが良く見える反対側のゴルナーグラート山頂(3,089m)まで行く高山鉄道に乗りました。山頂で、当時英国の某研究所に出向されていた某氏(後に関税局長で退官)にばったり遭遇しました。こんなこともあるのですね。

公務が多忙で自由になる時間が限られている出張者には、半日程度で三ヵ国を巡るルートが好評でした。ジュネーブを出てフランスに入りモンブランが見えるシャモニー(高速ケーブルカーで二回乗り換えますと20分位で四千メートルを超えるモンブランの山頂に到着します。)でフォンデュを堪能し、その後田舎道を走ってセント・バーナード犬で有名な山深いグラン・サン・ベルナール峠に行きますとそこはスイス・アルプスとイタリアの境界点です。スイス産の大型犬、セント・バーナード犬は、雪中遭難救助犬として有名ですが、首に体を温めるためのラム酒の小樽をぶらさげたスタイルで知られています。一方、ジュネーブから車で1時間も走ればレマン湖沿いの町、ローザンヌに着きますが、この近辺には喜劇王チャップリンや大女優オードリー・ヘップバーンのお墓があります。また、二度ほど行きましたが、オリンピック記念館もあります。スイスは鉄道網もしっかりしており、例えば、パリやローマにも行けます。一度、ローマから夜行寝台で戻ったことがあります。更に、鉄道料金も家族だと当時は半額になる割安制度があって重宝したものです。アジア人の小柄の体形には、欧州仕様の座席は飛行機でいえばファーストクラス並みでした。

2017年9月15日 掲載
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