日本貿易関係手続簡易化協会(略称:ジャストプロ 英文略称:JASTPRO)のウェブサイト

原産地関係エッセイ・論文・講演資料

連載 第二十六話−ジュネーブで暮らしてみて(その6)−

【車旅行】(続き)

筆者の同僚であったイタリア人はやはりというか伊達男で中古ではありますが、ポルシェに乗っており、帰省時にはイタリア側の下り直線で相当なスピードを出したそうです。筆者がよく冗談でイタリア人が何でドイツ車に乗っているのだとからかっていましたが、後日、中古のフェラーリを購入したそうです。

イタリアはフランス同様小型車が幅を利かせています。日本よりもディーゼル車が多く走っていました。一般車には当時エアコンが付いていませんでした。そのイタリアには、何回かドライブしましたが、一番印象に残っているのはピサの斜塔に行った時のことです。この斜塔はピサ大聖堂の鐘楼であり高さ約56mで傾斜の角度は4度位に修正されたそうです。最初に行った時は登れましたが、二回目は予約が必要と言うことで叶いませんでした。

イタリア・ローマに行きますと紀元前の遺跡があちらこちらに腐るほどありますが、ローマ帝国前期、シーザーがルビコン川を渡り「賽は投げられた!」と宣った時は、日本がまだ弥生時代ということを知って愕然としたことがあります。パクスロマーナの影響でラテン語がガリア(現フランス)やヒスパニア(現スペイン)に伝播したため、現在のイタリア語、フランス語及びスペイン語の根っこがラテン語ですので、同僚のイタリア人は短期間でこれらの言語が話せました。日本人にとってはとても出来ない芸当です。

【盗難】

UNCTAD在勤時、多くの途上国に出張した際、三回ほどひったくりや置き引きに遭遇しましたが、他山の石となるようその不名誉な出来事を書きます。最初は、ブラジルはリオデジャネイロでした。上司のアメリカ人と夕食に行きましたが、些細なことで言い争いになってしまい気まずい雰囲気のまま別々の道に分かれてホテルに向かいました。運悪く筆者の後から5人の高校生位の年齢の女性がついてきました。そのうち一人が筆者の背後に回り手を伸ばして急に急所を握ったのです。無理して経験する必要はありませんが、それはそれは痛くて暫く押さえつけていました。が、10秒位経って少しばかり癒えたころ、はっと気が付き後ろポケットを確認したら、いつもは持って出ない小型の財布がありません。後ろを振り返りましたら件の女性たちが走って逃げ、待っていたタクシーの男に渡して行ってしまいました。唖然と立ちすくんでいるしかなく、財布に入っていた350ドル位の現金を失ってしまいました。カードや証明書の類は持って出ないようにしていましたので不幸中の幸いでした。

後日談ですが、リオデジャネイロに出張したロシア人のUNCTAD職員がやはりひったくりでパスポートを盗まれました。また、別の職員は、同地において路上の靴磨きの少年から、汚物を靴につけられ気が付かなかったこの職員がかがんだ瞬間に後ろポケットの財布を抜かれたと聞きました。筆者の盗難の話を上司が彼の友人などに面白おかしく吹聴しましたので、その後の某セミナーでカナダの専門家から国民的スポーツとなっているアイスホッケーの選手が使用する股間プロテクターをプレゼントされました。夕食の席上、感謝の意味を込めて、筆者は起立して装着しているプロテクターをたたくパフォーマンスを行いました。皆さん、海外旅行にお出かけの際は同様な被害に遭わないように、くれぐれも気を付けてください。

二回目はアフリカ・セネガルの首都ダカールでした。到着した日に一人でホテル近辺を散策していたら小マーケットがあり興味本位で見に行きました。帰途、背の高い黒人が二人、筆者の左右に近づき、そのうち一人が軽い体当たりをしてきました。これに対応している隙に別の黒人がポケットから現金約60ドルを抜き去り走って逃げました。今度は財布を持参していないため、本人に危害がなければよしとしたものです。以後セミナーが終わるまで開催場所であるホテルから一歩も出ず、舌平目のムニエルばかり夕食に食べていましたので、皆から「ムッシュ・ムニエール」(セネガルはフランス語圏です。)と呼ばれることになりました。環境問題とはならないのか不明ですが、ホテルの窓からは、海に向かって打ちっぱなしのゴルフ練習所が見えました。

三回目は当時住んでいたジュネーブの空港でした。出張先のラ米からの夜行便に乗ってチューリッヒ経由で昼前にジュネーブ空港に着きました。通常はワイフが迎えに来てくれるのですが、探してもいません。それで、スーツケースの上に大型のアタッシュケースを載せ電話のある所まで移動して、家に電話するべく番号を押しました。公衆電話の前には荷物を置けないため背後に置かざるを得ませんでしたが、この5秒位の間にアタッシュケースが無くなっていました。筆者には夜行便ということで眠気もあって注意力散漫の嫌いがありました。

じきにワイフが着きましたので二人で空港内の警察に盗難届を出しました。対応して頂いた警官と話したところ色々なことがわかりました。ジュネーブに限らず欧州の大都市には定期的に移動するグループがいること。彼らは彼らなりのポリシーがあり、現金・貴金属類などの品物は抜き取るが、所有者が再発行に困るパスポート、運転免許証、クレジットカード類はそれらが入っていたバッグやスーツケースに残したまま人通りのある所に捨てていくのが彼らの流儀であること(アタッシュケースには国連のパスポートであるレセパセが入っていました。)。通常、早くて三日以内、遅くとも一週間以内には警察に届けられること等でした(紛失から八日目に警察から連絡があり、レセパセは無事でした。)。一番心配したのは、セミナーで使用してきたレクチャーノートでした。当時はWordなどパソコンのファイルなど普及していなかった時代なので、これがないと、以降のセミナー業務に多大な支障をきたすからでした。幸いにも全てがそのまま戻って来ました。無くなったのは出張先で残った紙幣、薄いブリーフケースと男性用香水だけでした。後日、警察への盗難届を持って保険会社にクレイムに行き(アタッシュケースは鍵の部分が全て壊されており修復不能でした。)、同等の代替品を購入することが出来ました。この話をUNCTADの他局の日本人職員にしたところ、彼女は二回ほど財布を掏られたことがあるが、二回とも一週間以内に現金だけ抜かれて戻ってきたと言っていました。上には上がいるものです。改めて、スイスは保険で守られている国であることを認識した次第です。

【生食】

日本人は魚を生で刺身や寿司として食べる習慣がありますが、西洋人の中には少なからず魚が嫌いな人がおり、日本人は悪食とまで言う人がおりました。食習慣は一朝一夕には変わりようがありません。とはいっても、西洋人でも生の牛肉の薄切りでイタリア料理の前菜の「カルパッチョ」があり、また、日本人はキノコを生では食べませんが、欧州では生のマッシュルームのサラダがあります。特にフランスでは牡蠣が養殖されていますので時期が来ますと沢山の牡蠣が市場に並びます。

刺身もどきの料理としてメキシコ、ラ米のコロンビアやペルーでは、生の白身の魚(例えば、コルビナが一般的です。)をさいころ切りしたマリネ料理の「セビッチェ(ceviche)」があります。コロンビアの保養都市カルタヘーナでのセミナーでは毎食これを食べていましたので、皆からセニョール・セビッチェと呼ばれました。これには、例えば、小エビや食べたことはありませんが「カタツムリ」のセビッチェもあると聞きました。スペインの政策でメキシコとフィリピンには頻繁な往来があった関係でセビッチェの文化もフィリピンに導入されたのではないかと思っています。というのは、全く同じ料理があって、フィリピンではキニラウ(kinilaw)と言います。ミンダナオでは以前触れたようにマグロの集積地でもありますので、新鮮なマグロを使ったキニラウを安く味わうことができます。ニカラグアのセミナーでは、アサリのような貝を現地では生で食べていました。また、南米サンチャゴデチリの海岸近くのレストランで日本ではおなじみのウニを生で味わいました。探せば生食はいくらでも出てくるようです。

【スピード違反】

フィリピンにはUNCTADやADB勤務時代を含めて都合20年を超えて住んでいますが、これまで何度か交通違反で切符を切られました。但し、人身事故はありません。一方、スイスでは一回だけで、それはスピード超過でした。ジュネーブ郊外(25キロくらい離れていました。)のローマ時代の遺跡が残るニヨン(Nyon)近くの小さな村がスイスで二番目に住んだところでした。突然、ニヨン警察からはがきが届き、警察に出頭されたしということでした。ワイフと共に出頭したら、係員が我々に一枚の写真を取り出して見せました。そこには、我々二人が前部座席に座っているところが写っており、写真下部に走行スピードも併せて写っておりました。この日は土曜日で、ジュネーブ中心にある日本人補習校に子供たちを迎えに行く途中で遅くなって家を出たため急いでいたことを思い出しました。警察ではスピード違反を認め、係員に急いでいた理由を縷々説明し、虫のいい話ではありますが、寛大な処置をお願いしました。結局、潔く認めたことや初犯ということもあって、罰金(とは言っても、邦貨換算で7万円)を払うことになってしまいました。

ヨーロッパの高速道路ではみなスピードを出しているので、車の流れに乗って走っていると制限速度をかなり超過したスピードになっていることがあります。また、ドイツのアウトバーンに速度制限がない区域があることは皆さんご承知のことと思います。日本よりスピードが速いため、事故が起こると大きな多重事故になってしまうことがよくあるようです。安全運転を心掛けたいものです。

日本の場合、運転免許証は3年又は5年毎に更新しなければなりませんが、スイスは、隣国オーストリアも含めて法令に変更がなければ、終身有効です。このため今でもしっかり保持しています。免許証の外国の任地における切り替えは、日本の免許証を提示して現地の免許証を取得するのが一般的と思います。スイス当局の間では日本の免許取得が安易ではないとの評判が高いようで、余り質問もされずに済みました。フィリピンでは、日本大使館に行って国内免許の「翻訳証明」を添えて当局に提出します。この証明取得は本人がしますが、筆者の場合、幸いなことにUNCTAD時代はマニラUNDP(United Nations Development Programme:国連開発計画)の、ADB時代はADBの、ローカルスタッフをそれぞれ通じて行ってもらいました。現在は、ADBの現役ではありませんので、自分自身で(日本でいう)「陸運局」(LTO: Land Transportation Office)で3年毎の更新手続きを行っています。一時期、日本の夏休み時期にマニラに来てこちらの運転免許証を取得し、日本で日本の免許証に切り替えることが流行りました。中には免許証を「購入」するケースもあったと言われており、現在はフィリピンに数か月住まないと有効とは認められない取扱いとなっているそうです。

UNDPが出たついでにこの機関の役割について触れます。基本的な機能は国連が関与する開発援助活動への資金提供ですが、誤解を恐れずに言えば、UNDPは一面において国連システムにおける「大使館」に相当します。国連加盟の途上国はもちろんのこと先進国(日本の場合、渋谷区神宮前にUNDP駐日代表事務所があります。)においても存在します。それぞれの任地におけるUNDP独自の技術協力案件も担当していますが、例えば、国連本部や専門機関からの要請に基づき、任国政府要人とのアポイントメント取り付けなどの業務も代行してくれます。また、プロジェクト活動の切り口から見ますと、UNCTADのプロジェクト番号を通知することにより(当該プロジェクトの資金規模、有効期間、担当責任者名などが分かるようになっています。)、セミナー参加者への日当(DSA)や通訳代なども事前にお願いしておきますと、現地で受け取ることがきますのでジュネーブから現金を運ぶリスクはなくなります。UNDP担当者から、年に数回、関係する国連専門機関、すべてのUNDP事務所などで「相殺」手続き(つまり、差額だけの会計決済ということ)が行われるとのことでした。万国郵便条約に基づく国際郵便料金の決済も加盟国間における差額の決済であると何かの本で読んだことがあります。

2017年9月29日 掲載
文中、意見に及ぶところは筆者の個人的な意見であり、JASTPRO又は関係諸機関の見解ではないことを予めお断りしておきます。

このページの先頭へ

注意)
日本輸出入者標準コードに関するお問合せは、ページ上部のメニューにある「コード関係お問合せ」をクリックして下さい。

一般財団法人 日本貿易関係手続簡易化協会
〒104-0032 東京都中央区八丁堀 2-29-11 八重洲第五長岡ビル4階
コード管理センター TEL.(03)3555-6034 / FAX.(03)3555-6036
代表(庶務室) TEL.(03)3555-6031 / FAX.(03)3555-6032
Copyright©2004 JASTPRO All Rights Reserved.