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原産地関係エッセイ・論文・講演資料

連載 第二十九話−法制局審査、原産地、国際機関等(その3)−

【英語について】(続き)

国連英語は基本的に英国英語だと思っています。例えば、プログラムのスペルは、programmeと書きます(因みに、UNDP(国連開発計画)のPもProgrammeです。)。ADBは、米国英語でprogramです。OECDは、英国に近いパリが本部ですので英国英語でしょう(公用語は英仏二か国語です。)。OECDのOは、Organisationと書き、米国式のOrganizationではないからです。筆者は、国連とADBの勤務経験がありますが、それぞれの機関には英語の用法(English Usages)に関するハンドブックがあり、公式な文書にはこれを基本に書かないと、editorに必ず校正されます。例えば、公式書簡に多用される「標記の件に関し、」については、国連の場合、「With regard to the above-mentioned subject,」と使いますが、ADBでは「With regard to the captioned subject,」と書かないと、秘書に直ちに直されてしまいます(余談です。ADBには二千名以上の補助職員がおりますが、殆どがフィリピン人女性です。彼女たちは、実は高学歴の人が多く、感覚的には三分の一は修士課程を終えていると思っています。因みに筆者の秘書は、英文学課程の修士卒で、必要以上に英語をチェックされました。)。

閑話休題。筆者の英語の基礎は、高校時代に出来たのではないかと思っています。片田舎にはもったいないくらいの熱血漢で、全身これ「英語命」ともいうべき英語教師に巡り合ったためです。田舎の高校なのでその辺りを考慮しなければいけませんが、試験で50点を超えるのはいつも2名で、多くて3名でした。何故かというと、普通、高校では教科書を基本に授業で習ったところから試験に出題されますが、この教師は授業の内容にはお構いなく、勝手に試験問題を作成するからでした。彼のモットーは、「英語は、論文などに使うFormal、日常生活で使うInformal、及び口語体のくだけたColloquialの3形式があるので、この違いを理解し、駆使できなければ一人前とは言えない。」でした。卒業時、彼からのお餞別は、次の一文でした。「Who would be satisfied with the success which may be had for the asking?」(望めば直ぐ得られるような成功に誰が満足できようか?)。思いっきり檄をとばされました。

高校時代、くだけた英語表現の「教師」は、1970年に解散したビートルズでした。1962年のデビューから解散まで、確か264だか268だかの曲を作曲しているはずですが、高校時代すべての歌詞を暗記していました。社会人になってから、日常会話の構文・表現は、大変ビートルズにお世話になったものです。実は、中学1年からドラムを初めましたが、当時、エレキは不良の始まりとの風潮で、自虐的に「ドラ息子」と称していました。横浜税関時代も先輩、同期、後輩とバンドを組んでいました。マニラ勤務時代は、シェイキーズなどでは生バンドの全盛で、マネジャーと仲良くなるとドラムをたたかせてくれました。1996年はAPECをフィリピンがホストした年ですが、税関グループの打ち上げを時のフィリピン関税局長が船を借り上げて、マニラ湾で開いたサヨナラ・パーティでは、筆者も2曲ドラムをたたかせて頂きました。

UNCTAD最初の任地はマニラのField Officeで、最初の半年はフィリピン中央銀行、その後はUNDPマニラ事務所にオフィスが与えられました(詳細は後日、記します。)。最初の1年はフィリピン人女性の上司、2年目はインド人男性の上司、3年目はプロジェクト予算の関係で筆者に秘書のみでした。その後、非特恵ROOを執筆している「真打」が後任者として赴任してきましたので、筆者は本部のジュネーブ勤務となりました。Field Officeでは、あの「国連英語用法ハンドブック」及び「国連職員規則」をじっくり勉強しました。積極的に外に出て実戦英語にも励みました。突然ですが、インド人の凄いところは、中身のない会合に出席しても、問題なく報告書が書けるという点にありました。このインド人の上司との話し合いの中で一番印象に残っているのは、「英国人はインド人に英語を教えはしたが、これは教育目的では決してない。英語を教えないと英国人の指図、命令が伝わらないからだ。」でした(昔、総理府主催の「青年の船」事業でインド、ボンベイ(現ムンバイ)にも寄港しましたが、当時のインド紙幣には14の主要なローカル言語で印刷されていました。)。

UNCTADジュネーブ本部勤務で毎日接するのは、米国人の上司とIrishの秘書で、いずれもネイティブでした。マニラの生ぬるい勤務環境とは一変して、真の意味で鍛えられました。基本的には、筆者の業務は、各GSPスキームやGSP・ROOの改変動向を把握し、GSPセミナーに参加するため日本のスキームやGSP・ROOのレジュメ作成(次第にこなすスキームの数が増えていきました。)、セミナー企画補助と進行管理、セミナー終了後の報告書作成、年に一回の「特恵特別委員会」の準備、これに提出する「GSP技術協力年次報告書」のドラフト作成、特恵特別委員会における技術協力報告に係る出席加盟国からのクラリフィケーションに対する応答がメインでした(上司は、GSP政策面のペーパーを担当。)。

筆者の経験からみますと、英語を話すネイティブよりも外国人の方が英語の文法に強いような気がしています。ネイティブにとって英語は母国語であり、また、国語です。意識することなく、物心がついた頃から覚えた言い回しをしているだけなのでしょう(例えば、freedomとlibertyの使い分けも、親からの話し言葉から自然と身につくのだと考えられます。)。英語で仕事をし、まがりなりにも国連欧州本部で俸給を頂くための最初の大きな壁は、次のようなものでした。ある日、秘書がやってきて、筆者の起案したペーパーのうち数ヶ所手直しした箇所を指摘しつつ、「私にはあなたに文法を教えることはできません。あなたのドラフトは、文法的には正しいのでしょうが、普通、私たちはこのようには言いません。多くのペーパーを読んで下さい。」と言うのです。非ネイティブにとって超えることのできない壁を指摘された思いでした(これは筆者の起案ペーパーが、前出のFormalとInformalのしっかりした使い分けができていなかったことや、ネイティブの好む構文や言い回しの使用法に未熟であったためではないかと思っています。)。秘書のイニシアティブで筆者のオフィスに来るわけがなく、上司が感じていることを伝えに来たことを直ちに悟りました。

暫くの間悩んだ末、「非英語圏で育ってきたのだからネイティブにはなれない。そうであれば、英語は意思の疎通のための媒体・手段として使うしか方法はないだろう。そのためには、意思が通じるように、彼らが使うやり方をもう一度勉強しようではないか。」との結論に達しました。どんな言語にも「慣用句(イディオム)」と呼ばれるものがあると思います。言語は大多数の人々がそのように使えばそれがルールになると思います。そこには、規則性や法則性はないと考えられます。日本語にも外国人にうまく説明できない、有名な「ぽん、ほん、ぼん」というのがあります。本数を数えるときの「一本、二本、三本」です。我々は小学校に上がる前にはこれを完璧に習得していて、以後、終生間違えることはありません。幸いなことに筆者は文系ですので、暗記は難しいことではありません。全部はとうてい無理な話ですが、仕事上の大事な言い回しや慣用句など、一つ一つ覚えていきました(卑近な例では、これは公文書には使えませんが、「to hit the nail on the head」という表現では、「ぴったし、ご名答」のようなニュアンスですし、「It rains cats and dogs.」に至っては、「土砂ぶりの雨が降る。」の意ですから、どうしても一つ一つ覚えるほかありません。)。筆者には、当時これ以外の方法が思いつきませんでした。

一つ一つ覚えなければならない分野の一つに、「会議用の英語」があります。提案、賛成(部分的な賛成を含む。)、反対、発言の内容の明確化確認(clarification)、妥協、再考の促しなどについて、決まった言い方があります。直截な対立(confrontation)を避ける意味からも、ベテランになりますと、婉曲的な言い回し、間接的な表現、二重否定などを駆使してきますので、注意深く聞かないとこの発言者が賛成なのか反対なのか、判断に迷うことになります。これもやはり、場数を踏まないと体得できない特殊分野なのかもしれません。通常、会議は録音されており、各代表者の発言内容がそのまま起こされ関係事務局職員に送られてきます。これを手分けして、公式議事録のドラフトを準備します。例えば、バングラデシュがG77を代表して発言した場合、「The representative of Bangladesh, on behalf of Group of 77, stated that…」と書き出し、時制の一致というか発言内容を過去形にします。長文になれば要約します。これも過去の議事録を二・三回読みますとコツがつかめます(通常、発言者の名前は本文では引用することはしませんが、報告書の別添として参加者リスト(list of participants)が掲載されますので、このリストで発言者がわかるようになります。)。

言語は生きているということを身に染みて感じたことがありました。当たり前の話ですが、英語でもネイティブ個人、個人によって用法・語彙の好みが一様ではなく、多様性があるということでした。その好例は、英語の用法に長けている集団が校正を担当するEditorに見られました。UNCTADでは外部に公表する文書については、editorのチェックを受ける必要がありました。筆者の場合、毎年特恵特別委員会に提出する「GSP技術協力年次報告書」があって、全般的な体裁は変わりませんが、具体的な内容が毎年変わります。昨年手直しされた内容をしっかり覚えておいて、使えるところはすべて、あるeditorの構文や用語でドラフトしたのです。残念ながらその年は別のeditorの担当になって、結構手直しが入りました。ここから得られた教訓は冒頭のごとくで、絶対的に正しい用法など無く、柔軟に対処していく必要性を感じました。

非ネイティブにとって完璧にマスターできない分野の一つに、「a/an」(不定冠詞)と「the」(定冠詞)があると思います。長く外にいますと、おぼろげながら、特に、不定冠詞は彼等の思考過程において重要な意味があることが理解できるようになりました。海外に長く住んでいると、英語の会話は上達しましょうが、日本文への翻訳は上手にはならないと思います。翻訳を職業としている人は別でしょうが、毎日の生活上、その必要がないからです。翻訳業を生業にしている人から聞いたことがありますが、良い翻訳を行う秘訣は、逆説のようですが、優れた日本文の書物をたくさん読んで、表現方法や言い回しの語彙を増やすことに尽きる、ということでした。

国連の公用文は、特に、論文や報告書などは、やたらと無生物の主語が多く、硬い印象を与えがちです。当時、確か局の方針だったと思うのですが、できるだけ、特に、レターなどには血の通っている人間が書いていることを示す意味から、積極的に「I」や「We」の使用を励行していました。例えば、レターの冒頭に「With reference to…」の代わりに「I refer to…」としていました。ADBで試しにしてみましたところ、秘書にあっさり直されましたが・・・。

硬くなりましたので、やわらかいエピソードで締めくくりたいと思います。ある時、上司と日本への出張が決まって、準備の最中に、上司がどこから聞きつけてきたのかわかりませんが、出張中、日本の某パソコンメーカーを訪問し、途上国に無料配布するため旧型モデルの寄贈を受けられるよう交渉したいとのことでした。その際の、「売り文句」として、国連に寄贈した場合、どこまでこのメーカーがPRに使えるのか、NY国連本部法規部に照会するよう指示されました。NY本部に照会したところ、一般論として、コマーシャルには使えないが、例えば、社内報には寄贈の事実は載せても良い、という感触であったと思います。詳細な詰めは、寄贈の意思が確定した時に行うことで了解いただきました。結果的に、このメーカーさんに断られましたので、ギリギリのところは不明のままで終わってしまいました(新型モデルの販売促進のため、旧モデルは一刻も早く市場から隔離・撤去するのが商売のイロハとのことでした。)。ついでにもう一つ。国連の公式会議では、例えば、最終採択文書(案)が公用語六ヶ国語の言語で会場に全て用意できない限り、開催されません。このため、深夜に開会される事態もしばしば起きるわけです。

2017年11月15日 掲載
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