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連載 第三十二話−UNCTAD・GSPセミナーこぼれ話(その3)−

【ペルーでの夕刻GSPセミナー】

キトでのセミナーを終え、我々一行(このように特定の目的で同一行動をとる集団を指して、英語ではmissionという言葉を良く使います。)は、港町でエクアドル最大の都市グアヤキル経由で次のセミナー地、ペルーのリマに向かいました。人間の体は正直なもので低地のグアヤキルでは酸素が多く感じられました。ペルーでのセミナーは現地の商工会議所のホストでしたが、殆どがヨーロッパからの移民の末裔といったところでした(筆者は後年フジモリ政権時代に再度訪れていますが、二回目では商工会議所幹部に2名日系人が含まれておりました。国のトップが代わるということは、この辺りにも影響を及ぼすということだと思います。二回目の訪問でのセミナーではその後大きな事件の勃発のため一躍時の人になられた青木大使にも開会のご挨拶を頂きましたが、後日、詳しく触れたいと思います。)。

リマでのGSPセミナーは筆者が経験したセミナーのうち最初で最後のものでした。何と参加者の便を考慮して、午後6時から10時まで開催したのです。UNCTAD12年の経験で夕刻のみセミナーを開催したことはこれ以外にはありませんでした。但し、日中はホテルの一室を借り上げ、GSPユーザーとのdirect consultationに当てましたが、思ったより反応はありませんでした。ラ米地域は、ブラジルを除けばほぼほとんどの国が公用語はスペイン語だと思います。従って、セミナーには通訳が入ります。通訳には、逐次のもの(一文ごとに行うやり方(sentence by sentence translation)と一区切り毎に行うやり方(paragraph by paragraph translation)とがあります。)と同時通訳(simultaneous interpretation)のものがあります。前者は後者に比し、最低2倍時間がかかります。リマでは前者のタイプでしたので、日本のGSPスキームのプレゼンテーションは時間の制約を考慮して要点のみに絞りました。

寄り道になりますが、慣れてきますと、通訳の発言をマイク越しに片耳で聞きながら進み具合を確認して先に進むことができるようになります。但し、それはずっと先のことでした。どの分野にも技術的な語彙というか専門用語や業界用語(technical terms又はjargon)がありますから、独特な表現など事前に通訳者と数分でも打ち合わせておくのが会議の円滑な進行には効果的です。もちろん、事前にGSPスキームとROOのサマリーは通訳者に渡しておきます。同時通訳の場合、通訳者の集中力が半端ではありませんので一人連続して長くとも10分が限度となります。このため、必ず同時通訳者は複数雇用することが国際ルールとして定着しています。この同時通訳の世界には「世界標準」のようなものがあり、各国においてネットワークが構築されています。

蛇足ですが、スペイン語は形容詞、副詞の多用によって大げさな表現が多くなることから、某通訳者に言わせますと、英語からスペイン語への同時通訳だと2割近く余計に時間がかかるということでした。つまり、発言者はこの辺りを注意して説明のスピードを調整しなければなりません。筆者はネイティブではないので早く話せませんから図らずもアドバンテージになっていいのですが、ネイティブが「興奮して」早口になりますと、通訳がついて行けず文末が途切れることになります。慣れた同時通訳者であればブースから手振り・身振りのサイン・ランゲージを送ってくれ、話すスピードの調整が可能となります。

日本人ですので外国で生の魚を食べることが出来るのはうれしさが倍増します。ペルーで何度も生魚をさいころの形に切って酢で締めた「セビッチェ」を食べました。上司たちと地元で人気があるというリマ郊外の内陸にある農園で鶏丸々一羽のグリルとトマトしか提供しないレストランとそれとは対照的な海岸から突き出たシーフード・レストランを経験しました。最初だったこともあり両方ともとても美味しく感じられ堪能しました。二回目に訪問した際にも同じコースを巡ったのですが、グリルも大した味ではなく、また、海岸のレストランも寿司や刺身など日本料理もどきも導入されており興ざめした記憶があります。ラ米は、誤解を恐れずに言えば、欧州からの移民が硬軟の策を駆使して国づくりを行った歴史があると思われ、欧州が持ち込んだ階級社会とも言えましょう。「格」のあるレストランでは、やはりワインが圧倒的で、チリ人の元大使が言うには、ビールは庶民の飲み物だよ、ということでした(これには多分ある程度ビール好きの米国への皮肉が込められています。)。

ペルー滞在中の1982年6月は、アルゼンチンと英国とのいわゆるフォークランド紛争のさなかでした。土地の人たちはおしなべてアルゼンチンの味方をしていました。英国は戦略的に重要な地点それも限られた広さを確保する習癖があるように思われ、例えば、ジブラルタル、このフォークランド島、現在は独立した香港、ブルネイやシンガポールなどもこの部類に入りましょう。ミッションのメンバーには、カナダ貿易促進事務所所長のR氏が参加していましたが、氏は1960年代に在ペルー・カナダ大使館に経済担当アタッシェとして勤務していまして、今回は17年ぶりのセンチメンタルジャーニーでした。休日に氏に誘われ当時住んでいた家を探しに出かけました。探し当てて感傷に浸っていた時、突然、向かいの家から女主人が現れハグをして喜びを全身で表しておりました。彼の眼にも光るものが溢れておりました。

リマでのGSPセミナー期間中、開始は夕刻からと書きましたが、ある日の日中のこと、direct consultationsも開店休業の状態の時、チリ人の上司がやってきて、これから「表敬」(courtesy call)に行くぞ、となってミッション・メンバー全員身支度を整え車に分乗して出かけました。筆者は誰に会いに行くのかわからなかったのですが、全体で5分間位だったでしょうか、相手は恰幅のいい紳士でペルー大統領とのことでした。後でさすが元大使となると顔が利くものなのだなと思ったものでした。途上国にセミナーで行きますと、貿易担当の大臣や副大臣に合わなければなりません。当初は責任者ではないので気が楽だったのですが、課長代行時代はそうは言っていられないので色々事前に勉強したものでした。おかしなもので場数を踏みますと、(面の顔が厚くなって)相手の肩書に物怖じすることは無くなり、雰囲気にのまれなくなります。

見知らぬ土地への旅でしたので往路は記憶が鮮明ですが、復路はあまり記憶にありません。週末に当たりましたのでマニラへの帰りがけに東京に立ち寄り家族と再会し、ジュネーブやセミナーの模様、今後の見通しなど積もる話しをしました。国連では航空運賃に変更がない場合、「途中下車」は認めてくれます(尤も、運賃に差額が発生したら本人負担とすれば済むことではありますが)。勤務日にぶつかれば休暇届を事前に出します。その後のジュネーブ勤務時は、上からの指導もあって、これは平たく言いますと「君たちはジュネーブで素晴らしい生活ばかりしてないで、出張の機会があったら、足を延ばしてどんどん隣国などに行き、途上国経済を現地でしっかり把握して欲しい。」という方針でした。日本の場合には、公務が終わったら直ちに帰らざるを得ず、規則上休暇で途中下車など考えられないことと思います。

筆者は最初の3年間は日本政府(外務省)の「手弁当」である「Associate Expert制度」によるUNCTAD勤務でした。外務省国際機関人事センターは筆者の仕事の具体的な内容、一言でいえば、オフィスに留まっているより、途上国におけるGSP普及活動がメインであることを十分に把握しておらず、出張旅費もラ米と近場二回位で初年度は使い切っていました。実は、後で知ったのですが、ジュネーブ本部から日本政府代表部あて筆者の旅費増額の要求が出され、外務本省で検討することになっていたそうです。筆者は大蔵省からの初代のUNCTAD派遣者で今までこのような事例もなかったため、試行錯誤を経て待遇が改善されていった面がありました。マニラ事務所の上司はプロジェクト予算から賄われますので毎月のように出張しておりました。筆者は家族が到着するまで現地での英語の実践と「国連職員規則」の勉強に明け暮れていました。

【対ASEAN・GSPセミナー】

マニラ事務所のあるマニラで「対ASEAN地域GSPセミナー」及び「対フィリピンGSPセミナー」が企画されましたが、これは筆者にとって旅費を生じさせないため参加が可能となりました。地域セミナー参加者は、各国GSPスキームに精通しており、ラ米の「お客さん」扱いとは異なり、質問攻めの洗礼を受けました。この地域セミナーには欧米から専門家が参加しておりました。どうも、ASEAN参加者の総意として各国スキームの改善を求める一種の「政治的な」文書を用意しているとの情報が入り、単身ASEAN参加者が詰めている部屋に行って、「皆さんの真剣な参加と議論に感謝します。なにか取りまとめの文書を用意されていると聞きましたが、このセミナーはテクニカルなものであり、GSPの改善策という政策マターを討論するジュネーブの特恵特別委員会とは性格が異なります。強い表現で改善を求める文書が出ますと、主催者としてのUNCTADとしては、欧米の供与国はもう専門家を送らなくなることを懸念しています。この辺の事情をご勘案ください。」。役人として彼等もそれぞれ本国に帰り、上司に報告しなければならないことは理解したうえでのお願いでした。最終的に、懸念するような文書にはならなかったのでほっと一息でした(女性の上司はASEANメンバー国出身ですから、板挟みになる役となるため無理な相談でした。後にジュネーブの米国人上司が言う「UNCTAD・GSP担当者は先進国出身でないと上手く回らない。」ということを実際に前もって経験したということでした。)。

【パプアニューギニア(PNG)におけるナショナルGSPセミナー】

PNGはそれまでの豪州による国連信託統治領から1975年に独立した若い国でした。独立の経緯から、政府の要職には豪州人が多く就いておりました。貿易に限りますと日本が一番の輸出先だったのですが、訪問当時PNG国家予算の約4割が豪州からの贈与(grant)で賄われており、この結果、豪州のプレゼンスが強く、皆、南(豪州のこと)を向いて仕事をしているとは現地日本大使館職員の弁でした。当時のパスポートは「公用旅券」でしたが、マニラUNDP事務所からはビザの取得は必要ないと言われ、取らずに入国したのですが、突然カウンターから別室に移され、取得しなかった理由など根掘り葉掘り聴取されました。GSPセミナーの目的で入国したことなど縷々説明し、放免してもらいました。セミナー自体は国会議事堂内にある会議場で開催されました。質問の中には、日本への養殖ワニ肉の輸出は有望かどうか、そのような市場はあるのか、といったものもありました(あとで関係者に伺ったところ、ワニというイメージの問題があり、使うとしても動物用の飼料くらいではないか、とのことでした。)。

2017年12月26日 掲載
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