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連載 第三十四話−UNCTAD・GSPセミナーこぼれ話(その5)−

セミナーのエピソードばかりだと飽きが来てうんざりしてしまうでしょうから、今回は目先を変えて全く別のトピックから始めたいと思います。

【国連信託基金と加盟国の協力の形態】

国連システムにおける技術協力の総元締めはUNDPと言っても過言ではないと思います。国連加盟途上国への技術協力に必要な資金を一元的に集める組織もUNDPでした。加盟国は、毎年のUNDP年次総会で翌年の技術協力への資金提供の誓約(プレッジ、pledge)を行います。国連やその専門機関はそれぞれの組織の優先分野に係る技術協力プロジェクト案件を作成しUNDPに資金提供を要請する仕組みです。時間の経過とともに、各国連専門機関が独自に加盟国の協力を得て基金を設立する事例が増えてきています。

UNCTADのGSPに係る技術協力事業もそうでした。GSP導入とほぼ同時にUNDP資金を活用したプロジェクトが10年間続きました。同一案件の事業に10年を超えて継続させることは決して望ましくないとのUNDPの判断で資金提供は断ち切られ、UNCTADは加盟国に働きかけ、独自の資金調達によって後継のプロジェクトを立ち上げました(UNCTADの主要な成果であるGSPに係るプロジェクトを閉鎖することはUNCTADの沽券にかかわるものでした。)。Fund in Trust とかTrust Fundと呼ばれるもので「信託基金」と訳されています。これは加盟国の義務では全くなく、任意の拠出金であり、基本的には国連の会計規則に従った管理、運用に委ねることになります。それでは、加盟国の協力にはどのような形態があるのでしょうか。これには、大別して二つの形態があると考えられます。それらは、資金供与(financial contribution)と現物供与(in-kind contribution)です。

資金供与協力についてはUNCTADのGSP関連技術協力の場合、特定のセミナーの必要経費(例えば、ASEAN地域セミナー開催費用としてというように使途が限定されます。実際には先方の希望する特定国(群)を対象としたセミナーの必要経費を盛り込んだ企画書を先方に送付して検討して頂く形をとりました。)に出資するような形態(特定用途)と事務局に拠出金の使途を一任するような形態(一般用途)に分かれます。事務局の本音を言えば、プロジェクト職員の報酬を捻出しなければならないこともあり両者が必要でした。ここでプロジェクト責任者として気を付けておかないといけないことは、拠出額そのまま全額をプロジェクト事業に使えないということです。当時は資金供与協力の事務管理(拠出国への年次会計報告など)などの経費(overhead)として13%が「天引き」されていました。例えば、10万ドルの拠出があった場合、実際にプロジェクトが業務に使えるのは87,000ドルということになります。

UNCTAD全体の技術協力資金の管理は、TCS(Technical Cooperation Service)というオフィスが行っていました。GSP関連のプロジェクトの資金状況の把握事務を一任された筆者は、このTCSとの緊密な連絡と情報交換は、セミナーの企画に欠くことのできない事務でした。ここの課長のキューバ系米国人にはいろいろ助けて頂きました。13%のオーバーヘッド(UNCTADの行う全プロジェクトへの信託基金拠出分がまとめてプールされ管理されていました。)の使途は多岐にわたるとのことで全部は教えてもらえませんでしたが、例えば、UNCTADの優先分野に緊急に外部コンサルタントの雇用が必要な場合のほか、プロジェクト職員の2年に一度のホームリーブ費用にも使われていました(筆者がUNCTADを去った後から聞いたのですが、使途は確かに多岐にわたっていたのですねと軽口をたたくつもりは毛頭ありませんが、氏はどうも使い込みが発覚してお縄になったそうです。)。

自前で事業予算を獲得しなければプロジェクト活動も閉鎖されてしまうため(GSPのUNCTADにおける成果と導入時期に照らし、GSPプロジェクトは多分UNCTAD技術協力の第1号ではないかと思っています。)、資金獲得活動(fund-raising missions)は米国人の上司にとって、そして、彼が去って筆者が課長代行になってからは、極めて重要なものとなりました。上司は毎年開催される特恵特別委員会を「ハンティングの機会」とも捉えていました。どういうことかと言いますと、見込みのある代表者(供与国のうち、特に、北欧諸国、スイス、米国、日本、EU)にあたりを付け、ステレオタイプともいうべき米国人にありがちな人の好さを前面に出し、コーヒーに誘います。北欧諸国は、ODAに関心が高く、特に、アフリカ案件には強い興味を持っていました。EUはどちらかというと国連との共同開催セミナーに関心が強く、費用の折半方式でした。米国はUSAIDの使途制限(例えば、共産圏諸国には米国の資金が使えないなどがありました。)があって使い勝手はあまり良くはありませんでした。

上司は「先行投資」も行いました。つまり、脈のある供与国には、まず、UNCTADの費用で旅費・日当を出してセミナーに講師として来ていただき、出張後それぞれの供与国の幹部に我々の活動内容を報告して頂くのです(当然のことながら、セミナー期間中は種々の機会をとらえて「売り込み」に励むわけです。)。この作戦が見事にヒットした事例がスイスでした。上司と共にベルンに出張し先方の技術協力担当局長にお会いしたのです(上司は詳しくは教えてくれませんでしたが、手筈は整っているので心配ないとのことでした。成案を得られるよう交渉し我々に有利に展開させていくことを、上司の英語の表現をかりると、cookingとなります。)。まさしく会議はそのように進行し、セミナー3回分くらいの拠出のプレッジを頂きました。つけられた条件はただ一つ、スイスの専門家を必ずその拠出から招聘するということでした。ここにも上司が言う、「UNCTADにおけるGSPの責任者は先進国からの人間でないと務まらない。」との理由が見出されます。多くの局面で米国人という「ブランド」は確かに価値と存在感がありました。上司が言うには、米国人は「アクが強い」との評価を受ける一面があるので、日本人ということが有利に運ぶことがあるだろうとのことでした。

他方、現物供与協力については、様々な形態がありました。「現物」という直截的な翻訳ではありますが人的貢献も含まれます。GSP供与国の費用負担でセミナーに専門家を派遣するのも一つの具体例です。GSPプロジェクトに関連したものでは、例えば、GSP原産地証明書様式の提供、GSP供与国が作成したスキームの解説書の提供、更に、受益国においても、例えば、セミナーが開催された場合の会場やreceptionistの提供も含まれます。特恵特別委員会に提出するGSP技術協力年次報告書にはこの二つの協力を漏らさず含めました。尤も、現物供与協力の場合、「時価」に置き換える必要がありましたが。

【チュニジア】

マニラ勤務2年目の3月、どういうわけかチュニジアへの出張を命じられました。地中海に面したこの国は実はイタリアのシチリア島にとても近く(ローマ帝国が獲得するまではチュニジアの支配下にはいっていました。)、第二ポエニ戦争のさなかには象を従えてアルプス越えをし、ローマ帝国を散々苦しめたハンニバル将軍が活躍した「大国」でした。結局、栄華を誇った大都市カルタゴはローマ軍によって徹底的に破壊され、更には大量の塩を撒かれ、草木一本も生えない廃墟と化してしまいました。休日には、皆で首都チュニスから電車に乗り小一時間で海に面した元のカルタゴを訪れました。他方、内陸は今では砂漠化が目につきますが、ローマ帝国時代はエジプトと共にローマに小麦などを提供した穀倉地帯でした。このため、内陸にはローマ時代の遺跡やチュニスまで引いた水道橋の遺跡もありました。ミッションのメンバーには、隣国アルジェリア生まれフランス育ちのUNCTAD職員が入っていて、チュニジアで話されているフランス語、アラビア語を話しましたので他のメンバー全員大助かりでした。セミナーにはフランス語の通訳が入り往復で二倍の時間がかかりますので皆説明は要点のみでした。

暑いイメージがある北アフリカといえども出張した時期は3月上旬で朝晩は冷え込みセーターが必要なくらいでした。地中海に面した国らしく、タコのぶつ切りを揚げたものや、タコ、オリーブ、アンチョビ、ピーマンを酢漬けにしたようなサラダなどの海鮮料理が名物でした(地中海沿岸諸国民は一般にタコを食しますが、例えば、北欧とかではあまり聞きません。)。他方、フランスの影響もあってパンがアジアでは味わえないくらい美味しかった(インドシナのラオス、カンボディア、ベトナムは除きます。筆者の体験では、お米が主食の国、例えば、タイやフィリピンは、パンにそれほどこだわる必要がないとみえて、めったに美味しいパンには巡り合えません。一方、ベトナムやラオスのバゲットはやはりフランス文化の遺産だと思います。)のが印象的で、また、現地の人たちはイスラム圏なのにワインを楽しんでいました。後ろにはサハラ砂漠が迫っているのですが、砂漠での風雨でできたと言われる「砂のバラ」(sand rose)がお土産品の人気商品らしくこれを買い求めました。

【ネパール・ナショナルGSPセミナー】

三角形を二つ重ねたような形のユニークな国旗で知られるネパールは、何といってもヒマラヤ山脈が一番有名だと思います。当時は45分のセスナ機のフライトで100ドル位だったと記憶していますが辞退しました。やはりインドを源流とする英語に近いなと感じました。筆者の同期には、軽く酒が入りますと、余程勉強したと見えてインド人そっくりのアクセントで英語を話す達人がいます。ネパールはland-locked countryなのでどのように運送費用を低減させるのかが大きな課題の一つでした。例えば、乾燥シイタケのような商品であれば問題もさほど大きくならないでしょうが、単価が安く重量があればどうしても大きな市場は隣国のインドにならざるを得ないでしょう。セミナーでは、自国の置かれている不利な立場に言及するコメントが多かった記憶があります。

町中を歩いていると男が近寄ってきて、マリファナを買わないかとのことでした。私は日本人だが警察官なのだよと言いますと、さっと行ってしまいました。税関勤務時、麻薬取締事務所の研修を受けたことがありましたが、未加工の大麻と生アヘン位しかわからなかったというのが正直なところでした。米国人の乗組員から二回大麻を発見したことがあり、金一封を頂戴したこともありました。保税では、某有名製薬会社の生アヘン2トンの輸入に際し、その搬出に立ち会ったことがありますが、あの植物特有の匂いは忘れることができません。最近の地震で多くの寺院が深刻な被害を受けたカトマンズ郊外のダルバール広場はその昔のカトマンズ王国の中心部で今でも信仰されている生き神の住むクマリ館もありました。基本的には泥壁のつくりなので大きな地震にはひとたまりもなかったことでしょう。

【関税と内国税の根本的な違い】

今回はセミナーのエピソードというよりは、UNCTAD技術協力にまつわる話題が主となってしまいましたが、締めはcustoms dutyとinternal taxの本質的な差異について私見を述べて終わりにしたいと思います。ADBの12年間、税関出身ということで内国税案件も担当させられましたが、主な活動は二重課税を防止する租税条約やその土台を提供するOECDモデルと国連モデルの検討、International Taxationの時事問題の討議でした。釈迦に説法ですが、関税は目に見える財物に係る税、即ち、大きな区分として「物品税」の範疇に入ると思いますが(メーターで計量できる電力は例外です。ネパールのインドへの大きな輸出品目の一つです。)、関税は「現在」のもので誤解を恐れずに言えば、とりっぱぐれが無い税と言えます。何故ならば、税関上屋や倉庫に輸入品をいわば「質草」として入れておき、払わなければ引取りの許可をしない、それだけのことです。他方、例外があることは承知で言っているのですが、内国税、所得に関する課税は特に、現在というよりは「過去」の出来事で何よりも記録(帳票類)が頼りです。ところが記帳義務化は一朝一夕にはできるものではありません。このような事情を反映してか、35年前の記憶では、途上国の歳入に占める関税の割合が比較的高く大雑把に言って20%から40%であったとういうことも、十分うなずける話です。

2018年1月30日 掲載
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