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原産地関係エッセイ・論文・講演資料

連載 第三十八話-UNCTAD・GSPセミナーこぼれ話(その9)-

【飛行機トラブルにまつわるエピソード】

これまでUNCTAD勤務時代、結構な便数をこなしてきたのですが、幸いなことに大きな事故というものには遭わずに済んでいます。それでもマイナーな事件には二、三遭いました。各航空会社のマイレージ・システムは1990年代に入り急速に発展してきましたが、もう少し早く始まっていたなら、少しは恩恵に預かったのではないかと思っています。

これは、車輪のパンクの例ですが、コロンビアのサンタフェ・デ・ボゴタ空港から飛び立ちカリブ海側のカルタヘナに着陸したら、ゴツゴツという感じで滑走路を走っていました。一本だけのタイヤのパンクでスポットには問題なく着きましたが、気分の良いものではありません。

次は、ASEAN諸国への累積原産地制度の有機的な活用の可能性を探る調査の一環でブルネイ(当時の人口は約25万人だったのですが現在は40万人を超えました。)を訪問した時のことです。早めに調査が終了し、予定を1日早めて予約を変更し乗機しましたが、テイクオフでスピードを上げたら機体がブルブルと揺れ出したため、減速しやり直しとなりました。心の中は複雑な感情に支配されており、余計なことせずに予定通りの便に乗るべきだったと自分を苛んでいました。やり直しで特に問題なく離陸し、イスラム国のため滞在中一時的に禁酒していましたので、機中ではワインで一人祝杯を上げました。

別の例では、上司と共にスイスに戻る予定で中継地のバンコクに着き、暫くしましたら、機内アナウンスがあって、minor technical reasonのため修理を行うので出発までには少し時間がかかる、とのことでした。どうも、車輪を支えるシステムの故障らしく、1時間後には、再度のアナウンスがあり、すぐには修理ができないので、今夜はエアポート・ターミナル近くにあるホテルに宿泊し明朝出発する由。乗客は係員の案内に従って入国管理事務所(イミグレ)を通過しましたが、パスポートには入国スタンプを押されず、一片の紙切れに押していたのでした。翌朝、イミグレを通過する際、この紙切れが回収されましたので、公式な書類というか、パスポート上はバンコクに入国していない扱いであったということになります。

コンテキストは全く別ですが、似たような取り扱いは、アパルトヘイトが実施されていた南アでありました。日本人は「honorable white」(名誉白人)との扱いを受けていましたが、あるインド人によりますと、パスポートではなく紙切れに入国スタンプを押すようイミグレ係員に要請し、そのようにして貰ったそうです。そうしないと、南アに制裁を科している国への入国の際、南ア入国の証拠があると、あらぬトラブルに巻き込まれる恐れがあるためとのことでした。

イタリア人の部下とジンバブエのハラレで打ち合わせを終え、ケニアでのセミナーに出発しましたが、途中、中継地に行く便が3時間遅れ、結局、到着した時間にはコネクティング・フライトが飛び去った後でした。乗り遅れたのは、12年間のUNCTAD公務出張中これが最初で最後でした。結構、筆者としてはショックでした。

今となっては信じ難いかもしれませんが、当時は、喫煙席がありました。米国人の上司も吸っていましたので、通常は隣り合わせの席でした。禁煙は思いがけなくやってきまして、15年前にフィリピン税関で一番の親友であった職員(Special Assistant to Commissioner)が肺がんで亡くなったのを機に禁煙しました。集中治療室にいるこの友人を見舞いに行ったのですが、大声を上げて呼んでも筆者を認知できません。これは、明日は我が身の前兆ではないのかとの切迫した思いに襲われ、見舞いの夜から直ちに禁煙しました。

脱線したついでに大笑いしたエピソードを二つ。一つ目。ナイロビでのセミナーを終え、女性専門家1名を含む5人で車2台に分乗して空港に向かいました。当時はパソコンが今のように発達しておらず、主要GSP供与国の関税率表はハードコピーを携行しており、それだけでアルミ製のスーツケースが一個必要になって、いつも追加料金の対象になっていました。途中、中型車がパンクです。米国製の古い大型車にすべてを積み込み、ぎゅうぎゅう詰めでやっとこさの体で空港に無事着いたときは、5人全員みな大笑いでした。最初から1台で向かっていてパンクに遭遇したら、路頭に迷って絶対乗り遅れていたことでしょう。

二つ目。南米アルゼンチンにおけるセミナーの後半で部下のイタリア人の体に発疹が現れどうもchicken pox(水疱瘡)のようでした。伝染性のある症状を呈している乗客は、原則として、乗機できないとのことで、彼は我々に重々口止めを懇願し、このおしゃべりなイタリア人が一言も余計なことを言わないでいたので、離陸してからこれも全員で大笑いでした。

【色々なコンテキストにおける南北問題】

南北問題は、北に位置する先進国と南に位置する開発途上国との問題だけに留まりません。相当前には、アメリカ合衆国においても南北両陣営で内戦までありました。筆者による独善と偏見によれば、世界には少なからず(大きな)ギャップの存在から「南北」という視点で捉えられる対象があります。

最初はEU内における南北問題です。EEC設立当時はラテン系がイタリア(とフランス)で少数派だったのですが、現在28の加盟国となって、開放的な明るいラテン系もついこの間問題となったギリシアをはじめスペイン、ポルトガル、マルタ、キプロスなど地中海沿岸諸国が加入しています。他方、北側は北欧系、ゲルマン系の、南に比べればより規律を重んじる加盟国があります。英国のEUからの離脱の動きを見ていますと、今後しばらくその帰趨を注視していかなければならないと思いますが、EUの南北問題を見ていますと、「アリとキリギリス」の寓話を連想するのは筆者だけでしょうか。

視点を変えて別の話題です。EUはその出発点が関税同盟でした。一方、ASEANはGATT規定上の区分としては自由貿易地域に分けられ、メンバー国は独自の貿易政策を行うことが可能です。EUはある意味、事務局によるメンバー国からの権限の獲得闘争の歴史ということも出来ると思います。他方、ASEANはメンバー国が権限を握ってASEAN事務局には決して渡さないように映ります。貿易についてはEU事務局が権限を持って仕切っています。一方、「対外援助」は依然としてメンバー国の権限です。さて、GSPはどうでしょうか。GSPは貿易の要素が強いと思われますが、一部援助的な色彩もあり得ると考えられます。このため、「UNCTAD特恵特別委員会」の際に例年行われてきたEUとの政策対話には、EU事務局代表団が前列で、個々の加盟国代表者が後列に陣取り、発言はもっぱらEU事務局代表者が行っていました。

次はイタリアです。ミラノ、トリノと言った北部の工業都市がある一方、南部はシチリア島をはじめ、昔はアラブにも征服されていた農業地域のイメージがあります。北部は豊かなため獣肉やバターを使った料理が中心です。他方、南部は昔からの素朴な料理が多いのですが、フレンチ・パラドックスと同じように、心臓疾患やある種の癌罹患率の低さから、「地中海式ダイエット」とまでもてはやされるようになりました。このダイエット法は、穀物(デュラムと呼ばれる硬質小麦を使った粗挽きパスタ類やクスクスなど)、野菜、果物、豆類などの植物性食品と、この地方特産のオリーブ・オイルをベースに、チーズなどの低脂肪の乳製品や、新鮮な魚介類(獣肉の摂取は少量)などが加わって構成されます。適量のワインも含まれます。減量のための食事制限というよりは、健康のための食事法・食習慣と言った方が適切です。

ジュネーブ時代、よく行ったピザ屋さんで一度ピザの原型なるものをサービスで頂いたことがあります。形は丸型で変わりはないのですが、ニンニクをオリーブ・オイルで炒めたものが少しばかりピザに載っているだけでした。素朴でこういうのもありかなという感じでしたが、あるいは日本人をからかっただけなのかもしれません。ピザの発祥地であるナポリ(一時期スペインの領土でした)では、主流はマリナーラとマルゲリータの二種類です。ピザに関する本を読みますと、第一次大戦後など、米国に移民したイタリア人がピザを広め、故郷のものとは打って変わって各種のトッピングを載せ、豪華なものに仕上げ、欧州に逆輸入となりました。これはまさに原産地規則でいうところの「実質的な変更」が加えられ、同じピザでありながら別の製品に仕上がったということなのでしょう。

ベトナムも1975年のサイゴン陥落までは、北の共産体制と南の資本主義体制を主体とした国に分かれていました。南の首都サイゴンは、ホーチミン市と名前を変えました。GSPセミナーではハノイとホーチミン市の両方で開催しましたので、フォーマルな感じの強い北と開放的で明るい南のコントラストに接することが出来ました。なお、余談ですが、セミナーなどで百ヵ国近く訪問しましたが、滞在中、米ドルがそのまま通用した国が三ヵ国ありました。一つがベトナムで、3回行きましたが現地通貨のドンに両替したことは一度もありませんでした。他の二か国は、パナマ(但し、硬貨は自国製でした。)とキューバでした。1ドル紙幣を多く持って行ったものです。

今回の最後はサイプラスというかキプロス島で締めくくりたいと思います。この島はトルコに近いのですが、南はギリシア系の住民が、他方、北の四割弱はトルコ系の住民が住んでいる今でも分離したままの二ヵ国です。セミナーにはギリシアから南部の首都ニコシアに入国したと思います。ビックリしたのは、現地UNDP事務所の半分が北に、他の半分が南に分かれているという事実でした。このことは国連ビルの真ん中を観念上の国境分断線があるということです。国連ビルの屋上には兵士の姿が見えていました。町中には英国やカナダ兵士の姿を多く見かけました。このような南北問題は一刻も早く解消してもらいたいものです。

2018年3月30日 掲載
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