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連載 第三十九話-UNCTAD・GSPセミナーこぼれ話(その10)-

【なかなか行けない国】

国連広報センターによれば現在の国連加盟国数は193ヶ国に上るそうですが、中にはなかなか実際には行けない国もあります。今回は、そのように思える国の中でGSPセミナーなどの公務で出張した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、イラクとシリアの三か国について当時の様子に触れたいと思います。

① 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)(平壌)

筆者が公務出張したのは1995年春で当時は前年の干ばつのため不作の影響を引きずっていた時期に当たります。この国は1991年に南の大韓民国と合わせて同時国連加盟(国連本体への加盟です。なお、ILOやWHOなどの国連専門機関には国連本体の未加盟国であっても個々に加盟することが出来ます。)を果たしたのですが、UNCTADにおいては途上国グループのコーディネータ国になるなど積極的に対応していました。特恵特別委員会においてもその延長で活動しており、ある時、同国代表部外交官の一人から一度指導に来てもらえないかとの非公式な打診を受けました。このようなことは筆者の一存で決められることではないので、当方より、代表部部内で相談して頂いてその旨決定されればUNCTAD事務局長あてにミッションを要請する口上書(note verbale)を発出するのが通常のプロトコールですと返しました。ところが程なく口上書が届いたのです。筆者に打診があった時には既に代表部内において意思統一がなされていたということなのでしょう。事務局長室からの手書きのメモには、最近国連に加入した国からの要請なので早急に検討の上、先方に連絡するようにとのメッセージが添えられてありました。

西欧からの直行便はないようで北京から平壌に入国するのが普通のルートのようでしたが、これには二通りの方法があって、汽車で一日かけて陸路を入るか、または、高麗航空(Air Koryo)による空路でした。筆者は空路を選び、北京から程なく着きました。乗機したのはソ連製のイリューシンだったと思いますが、やたらに馬力がある飛行機だなと感じました。何しろ離陸時のスピードが半端ではありませんでした。空港には小型のベンツで関係者が出迎えてくれました。なお、国連の職員規則によれば、公用出張中空港からホテルまでの「足代」として片道を一単位として合計数を請求することにより支給されますが、ホスト政府が用意してくれる場合は請求できないことになっています(なお、出張見積もりの8割が出張時に支給され、出張後この費用などを追加してtravel claimを提出して残余を清算する手続きとなります。)。時節柄、機微にわたる内容に触れますと各方面から色々なコメントが出されそうですので、業務内容等には触れず、体験談として気が付いたことのみを記したいと思います。

先方が予約したホテルは中級で日本語がある程度通じましたので心配はありませんでした。安全のため誰かが後ろからついて来ているのでしょうが、ホテル近辺は一人で自由に歩くことが出来ました。そもそもあらぬ誤解を避けるためカメラを持たずに入国したので手ぶらです。あまり商店は見かけませんでしたが、無いということではなく、例えば、ローカルの酒屋さんがあり入ってみました。すぐに人だかりとなり話しかけられてもわかりませんので、早々に退散しました。路上には結構な数の人の往来がありましたが、メタボ系の人はいなかったように思いました。当方から、政府の担当部局を訪問して説明したい旨希望を述べましたが、逆に先方がホテルに毎日来るということでやんわりと押し切られました。

視察と称して記念となっている碑、銅像、生家を案内されました。中国でひと昔流行ったフレンドシップ・ショップに似たデパートにも連れていかれましたが、商品の数は先進国に比べあまりありませんでした。隣の韓国より、朝鮮ニンジン製品は安かったという記憶があります。確か1950年代の帰国事業で横浜から戻った女性が視察中日本語の通訳をしてくれました。ホテルの食事ですが、最初の晩にご飯茶碗一杯しか食べなかったのですが勘定書きを見ますと二杯分とカウントされていて確かめたところ、当ホテルではご飯は100g単位で提供しており、お客様は茶碗一杯でも200gなので2カウントとなります、との説明でした。日本人が多く泊まるホテルのせいかもしれませんが、タクワン、太巻きも出されました。ただ、不作のせいかキムチは白菜ではなく、キャベツを使っていました。

この出張が縁で、その後ジュネーブに戻ってからも同国代表部から大きな記念日などに招待状が届くようになりました。代表部はジュネーブの大きな噴水近くの英国公園の近くにありました。日本人は筆者だけだろうと高をくくっていましたが、日本の某新聞社社員2名が来ていました。KEDO(The Korean Peninsula Energy Development Organization:朝鮮半島エネルギー開発機構)が稼働を始めた時期にあたりましたので、外交活動に積極的だったのでしょう。なお、KEDOも日本政府の技術協力案件の一つであったはずで、大蔵省からもKEDO絡みで北朝鮮に出張された方も複数名いるはずです。読者の中にはこの内容に期待外れとお思いの方が多いと思いますが、ことの性質上詳しくは書けないことをご理解ください。

② イラク(バクダッド)

イラクのバグダッドには、イラン・イラク戦争(1980-88年)のさなかの1986年にGSPセミナーのため訪問しました。アラブ語を話すUNCTADの同僚やフィンランドなどからも専門家が参加しました。セミナー開会式には、貿易副大臣が何とカーキー色の軍服姿で開会挨拶をされました。米国人の上司はなぜか参加せずお前が代表で行ってこいということでした。キリスト教でも大きく分けてカソリックとプロテスタントなどの宗派があるように、アラブのイスラム世界でもスンニ派が主流の国(例えば、サウジアラビアやイラクなど)とシーア派が主流の国(イランなど)に分かれており、対立の根は深そうです。宗教について詳しく触れるつもりもなくその能力もありませんが、国連職員として常識として知っておかなければならないことは、書籍やアラブ世界に詳しい同僚から知識を得ました。国連のいいところは多国籍社会なので、深入りしさえしなければ、必要な情報は内部で十分調達できるところです。

セミナーの合間を縫って、バグダッドから南方へ1時間半くらい走ったところにある古代都市バビロンの遺跡(修復途中でした)に連れて行ってもらいました。ユーフラテス川沿いにあるこの辺り一帯では、小麦などの世界最初の農耕栽培が7〜8千年も前から始まったと言われ、前18世紀には、かの有名なハンムラビ王が「目には目を」の報復刑で後世知られることになる法典を制定した地でもあります。受け売りですが、旧約聖書(創世記: Genesis)には、バベルという名前で出てきますが、後年には史実となっているユダヤ人知識階層を強制移住させた「バビロン捕囚」の地でもあります。現在は、砂漠化が進んでいますが古代都市バビロンが栄えた時代には豊かな緑地の穀倉地帯だったと言われています。

とはいえ、やはり戦時中なのだと思わせる状況はいくつかありました。まず、すべてのビルの屋上ではないのですが、何基かの高射砲は見ました(砲身が見えたと言った方が正確です。)。一週間の滞在中、町中で2台の戦車を見ました。戦死者なのでしょう、国旗にくるまれたひつぎを数人で肩越しに担いでいく行進に遭遇し、空砲とは思えないライフルの空への発砲がありました。テレビでは戦争関連番組が多く、今日は3マイル前進したという報道が毎日ありました。毎日ですので天邪鬼ですから、毎日前進して陣地を獲得しているのならそのうちパキスタンを超えてインドに到達してしまうなどと不謹慎に思った次第です。ある晩、出張者で小綺麗なレストランに行ったのですが、遠くの席では静かに壮行会が行われており、髪を短く切った青年が主賓のようでした。明日にも前線基地に行かされるのでしょう。やるせない気持ちで食欲も落ちましたが、帰りの飛行機が離陸した時には現金なもので安堵感を覚えました。この戦争では、イラクを支援したのが、皮肉にも米国、ソ連、中国、フランス、クウェートなどでした。アメリカのイラク支援の背景には、1979年のイラン革命とそれに続くアメリカ大使館占拠事件(444日間に及びました。)があると言われています。

③ シリア(ダマスカス。なお、聖書ではダマスコと表記される)

世界一古い都市とも称されるシリアのダマスカスでもセミナーを開催しました。実を言いますと、アラブ世界におけるGSPセミナーの打ち合わせは、相互の意見を述べ合い合意に達したものを実施する普通の方法が通じない世界で、マイナーな点を除けば実質的には先方の案で決定されました。確か、午前の部はなく三日間午後4時間位開催されました。このミッションにもUNCTAD職員でアラブ語を話せる職員(実はキリスト教の造詣も深いのでした。)に大いに助けてもらいました。

受け売りですが、ダマスカスはその昔、イエス・キリストが話したとされる「アラム語」が公用語であり、イスラム教が勃興するまではキリスト教の影響下にあった都市でした。新約聖書にもダマスコという呼び方で出てきます。有名な「パウロの回心」の舞台ともなりました。今は内戦に次ぐ内戦で荒れ果てた都市になってしまいましたが、これまた原始キリスト教ゆかりの地であるシリア北部のアレッポを訪れる機会がありました。他宗派からの弾圧から逃れて信仰を続けたとされる絶壁に近い洞窟などもありました。紀元前4世紀にはかのアレクサンダー大王の支配下にもあったとされ、世界史の教科書の1ページを見ている錯覚に陥ったものでした。頼みもしないのに、ダマスカス滞在中、政府の役人から南部の「ゴラン高原」に連れていかれました。途中、兵士の姿が見えました。今から思うと、めったに訪問して目にはできない場所で、もっとしっかり見ておけば良かったと後悔の念、しきりです。

【番外編】

キリスト教が出たついでに、唯一の「ラテン・エイシア」でカソリック国のフィリピンに軽く触れたいと思います。当地は敬虔なカソリック国なのでキリスト教の基礎知識は持っておかないと恥をかく恐れがあります。当地には何はなくとも時間は一杯ありますので、これまで、(もちろん邦文ですが)新・旧約聖書3回読破しました。多分、当地の庶民の平均以上の知識はあるのではないかと自負しています。マニラ勤務時代関税局から某審議官が来比されイギリス留学時代に洗礼を受けられたらしく、プロテスタントの教会に行きたいと突然言われ焦ったことがありました。スペイン統治時代からの由緒あるカソリック教会はたくさんあるのですが、プロテスタント教会はそれまで聞いたことがなく、秘書に至急連絡を取って事なきを得ました。今思い出したのですが、エチオピアに出張した際、キリスト教の一宗派である「コプト教」を古くから信仰していた場所に連れていかれましたが、そこは世俗から隔離されたような場所で、何か新しいことを始めようとすると艱難が待ちうけるという教訓として受け止めました(大げさな言い方をしますと筆者の究極の「上司」であった第六代国連事務総長のブトロス・ガリ氏はエジプトの少数民族であるコプト出身者でした。)。

2018年4月16日 掲載
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