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連載 第四十一話-UNCTAD・GSPセミナーこぼれ話(その12)-

【インドネシア】 (続き)

前回は、インドネシアのナショナル・プロジェクトの活動に触れているうちに誌面が尽きてしまい、エピソードまでには及びませんでした。今回は仕事を離れた側面について記していきたいと思います。実のところ書きたいことが多すぎて、取捨選択に苦労しています。

ジャカルタに居候中、「真打」による筆者への待遇の程度をつまびらかにすることについては、氏が現在においても生殺与奪の権を握っていますのでうかつなことは書けません。真新しい一軒家ではありませんでしたが閑静な住宅地の中にあって、パパイヤやマンゴーの木が庭にあり、おばあさんで人のよさそうなメイド、イブ・サリと、いつもにやにやしている運転手、ロスミンに囲まれて、当時のジャカルタ市街は現在ほど渋滞もしていませんでしたので、仕事を除いては快適な毎日でした。休日には「ガース、ガス、ガス」との掛け声でガス(LPG)を売り歩く車が通り、日本の「竿や青竹」とか「金魚エー金魚」の掛け声を思い出しました。庶民の食べ物、焼き鳥(現地では、サテ・アヤムといいますが、サテは焼く、アヤムは鶏の意です。日本のものより小振りです。)の行商もあったと思います。いわば納豆を固めたものですが、納豆の特有の匂いがしないテンペというおやつみたいなものも屋台で買えましたので、良く食べたものです。

居候を開始する際、いの一番に真打からジャカルタで生活する上での注意事項を賜りました。曰く、「当地では泥棒しか走らないので、走らないこと。左手は不浄の手なので、特に、お金を渡すときは必ず右手を使うこと。人前では叱らないこと。」の三原則でした。氏の手製の簡単なバハサ・インドネシア語の辞書をコピーしましたが、面白いものがあって、例えば、飯は「ナシ」(ナシ・ゴレンはご存知と思いますが、ナシはごはんでゴレンが炒める、つまり、インドネシア・スタイルのチャーハンのことです。因みに、焼きそばは、バミ・ゴレン。)、魚は「イカン」、ケーキは「クエ」と言います。日本で何かの雑誌のタイトルに「ジャラン」というのがあったと思いますが、これは「通り」の意味で、二回繰り返しますと「歩く」(ジャラン・ジャラン)と名詞から動詞に転換されます。フィリピンで今でもそうですが、筆者の現地語はセンテンスの体をなさず、知っている限りの名詞や形容詞で通します。先方は何を言っているか、真剣に聞いてくれますので、100%とまではいかなくとも、ある程度はわかってもらえます。マレー語が源流なので、フィリピンとインドネシアで同じ使われ方をする語があると以前書きましたが、例えば、(値段が)高い、安いは両国とも「mahal、マハル」「mura、ムラ」で(日比ハーフ関取の高安関を連想します。)、また、数字の4と5は共通で「アンパット」、「リマ」と言います。一度失敗したのは、マレーシアの現地語はこれまたマレー語を起源としていますが、バハサ・インドネシアと微妙に用法が異なっており、詳しくは書けませんが、恥ずかしい思いをしたことがあります(突然ですが、バハサ・インドネシアで面白い発音があって「C」を次に来る母音に応じて「チョ」「チェ」「チャ」と発音し、例えば、Coca Colaは、「チョチャチョーラ」となります。セミナーでは、まだHSが発効していませんでしたので、CCCNの時代だったのですが、「チェーチェーチェーエヌ」で説明していました。また、税関の事を「Cukai」と言いますが発音は「チューカイ」です。)。

自慢にも何もなりませんが、現在、フィリピンに住んでいて自分の部屋では決してエアコンは使いません。ケチなだけの話で、選びに選んで思いっきり北向きの部屋を賃貸契約しました。その心は、直射日光が入らないことで、その代わり風が結構入ってきます。尤も、反射光がありますから、直射日光がなくても洗濯物は部屋の中でも乾きます。3〜5月はマニラでは盛夏(後述する地軸の傾きのせいで、夏も北上するようで日本には7月頃に届くそうです。)なので扇風機がフル回転です。物理ほどすぐ頭に入らない科目はありません。四季も地球の地軸が傾いているために起きる気象現象だそうです。日本のように緯度がある程度高くなってくると四季という現象が起きますが、南の方は特に赤道に近くなりますと、雨季と乾季の二季のみです。ジャカルタも結構赤道に近いのですが、物理的なからくりがどのようになっているかわかりませんが、居候してみて人が喧伝するほどそんなに暑いと感じたことはありませんでした。居候先でもエアコンを使った記憶がありません。居候をしていた家からレストラン、ショッピング・センターなどが揃っている繁華街までは歩いても15分以内に着く距離にありましたが、自転車の前部に二人分くらいの席のある乗り物、ベチャ(輪タク)で時々行きました。夕方は自転車の漕ぐ速度が丁度いい具合にそよ風を運んで来るので気持ちがいいのです。

現地では(バリ島近辺を除き)宗教上豚肉はご法度なので、どうしても食べたければ中華レストランに行かなければなりません。牛肉は結構歯ごたえがありますので、勢い鶏肉が多くなります。鶏肉のさばき方、料理法は他の種類の肉よりも洗練されているようです。もちろん、魚介類がありますが、それほど新鮮とは思えないものでした。バンドン(1955年に非同盟諸国が第一回アジア・アフリカ会議を開催した場所です。)でセミナーを開催した際、真打と中華レストランで食べました。注文したうちの一品、干したアワビを戻して柔らかくした「うま煮」が異常に安くて、値決めを間違っているのではないかと内心ほくそえんでいました。他の都市ではこんなに安くはありませんでした。インドネシア北部の料理にパダン料理というのがあって、出来合いの小皿に盛られた異なった材料の料理を食べたい分だけ皿を取って食べ、その食べた皿の分だけ支払う言わば回転ずしのようなシステムで合理的でした。既に調理済みですから時間の節約になり、また、現地語で書かれたメニューをみて注文するより間違いがなく、旅行者には便利です。冗談ではなく、ローカルのレストランはバンコク同様、本当に安いのでした。

ラマダン期間中は、イスラム教徒は日の出から日の入りまでの間は食べることも、飲むことも、たばこを吸うことも出来ません。少数派であるキリスト教徒や仏教徒はこの時期肩身が狭く、日中は裏通りにある中華などの食堂に行って食べることになります。ラマダンといえども、我々日本人は勤務中のどが渇いた場合、ウォーター・サーバー器からコップに入れて飲みますが、現地の人も一緒に働いていますので、音をたてないように(たてると皆の注目を浴び、羨望のまなざしで見られます。)しなければなりません。日没になり、これから食事をしてもよいとのお知らせがモスクから聞こえてきます。現地にいますと、朝から晩まで5回の礼拝の時間に「吟唱」のようなお知らせがモスクから聞こえます。これが当初はうるさかったのですが、慣れというのは恐ろしいものでいつの間にか一日の生活のリズムの一コマになってしまったのでした。ところで、ラマダンは、例えば、妊婦の方、病人などは例外扱いとなります。実際は、結構賢く立ち回っているようで、例えば、健康な人でも、日の出直前に早い朝食を食べたりしていたようです。こういう便法を活用しないと、生身の体がもたないのでしょう。

後日大統領に就任するスハルト少将が、1965年にインドネシア共産党を掃討、壊滅させました。インドネシア共産党の背後で中国共産党が糸を引いていたとする見解もあって、中国語も攻撃の対象とされました。筆者がUNCTAD地域プロジェクト移転の際、最初にインドネシアに入国した際のエピソードですが、入国カードには、中国人の場合、氏名をローマ字に加えて漢字で書くような様式になっていました。宿泊したホテルでNewsweek誌を見ていたら、お寺の写真がありましたがご丁寧にお寺の漢字の名前が黒く塗りつぶされていました。隣のカリマンタン(ボルネオ島)の赤道上に州都であるポンティアナック(Pontianak)から車で2時間位離れた中華街の街、シンカワン(Singkawang)でセミナーをした際、中華を食べに皆と共に繰り出しました。中華街なのですが、徹底していて漢字が一文字もありませんでした。Wikipediaを見ましたら、中華系がほとんどの町で、客家(ハッカ)だけでも全体の42%を占めるとありました。筆者は横浜税関勤務時代、本牧の保税倉庫で某輸入月間雑誌二誌の黒マジック消しの立ち合いを毎月していましたが、当時はまだ独身でしたから、実際のマジック消しを行うバイトのおばさん連中から、「税関さん、しっかり見るんだよ!」とからかわれていました。同じマジック消しといっても、インドネシアのそれは意味が全く違っていました。

インドネシアはイスラムのイメージが強いのですが、実は多文化の国家で、南部に行けばボロブドゥール仏教遺跡を見ることができますし、この仏教遺跡からさほど遠くないところにはヒンドゥー教の遺跡(プランバナン寺院群)もありました。日本に人気のあるバリ島はヒンドゥー教地区で、人々は極めて穏やかです。土地の人が、ジャカルタのタクシーは怖いと言っていたくらいですから。バリ島は精巧な銀細工で有名です。また、インドネシアの京都と言われるジョグジャカルタ(Yogyakarta)では伝統産業であるジャワ更紗(バティック、ろうけつ染め)が有名で工房が沢山ありました。高価なものには作者のサインが入っています。軽くて通気性の良さから梅雨時でも重宝する籐(ラタン)製品も有名ですが、木か植物(tree又はplant)かの論争があって、彼らは植物と言い張っていました(実はこれは切実な問題で、木に分類されるとあるGSPスキームの数量枠に引っかかってしまいます。)。

ジャカルタ市内の渋滞ぶりを見るにつけ、往年のバンコクを思い出させます。ジャカルタでの大きな違いは、圧倒的な数のバイクがあることで、一説には1億台はある(人口は日本の倍で約2.5億人)とのことでした。殆どが日本の数社のメーカーのもので、なぜか125tです。町中を歩いていますと、甘い香りに出くわします。スイートではなくクローブの葉の紙巻きたばこの匂いで、実際は、丁字(ちょうじ)油で香りを付けたたばこのようですが、周りの人には甘い香りを漂わせます。時々、火の塊が落ちてズボンに穴をあけてしまいますので注意が必要です。一時期、米国のGSPスキームでは暦年にある産品輸出が一定額又は一定比率を超えた場合、当該製品については翌暦年GSPの適用が停止される、との数量制限を課していました(競争力条項、competitive need limit)。インドネシア当局は、クローブの葉を使用しているので、通常のたばこに分類するのは間違っていると主張したと聞いていますが、結果まではフォローしませんでした。この競争力条項には笑い話があります。ペルーでの地域セミナーで紹介された話ですが、ペルーやチリを中心に「ピスコサワー」という結構強い飲み物(ブドウからの蒸留酒をベースにライムや卵白を入れた白いカクテル)がありますが、当時、米国への輸出はこの二ヵ国でほぼ占められており、交互に1年間は競争力条項の適用でGSPが停止されているというのです。インドネシア編の締めくくりは、ジョークで締めたいと思います。ある田舎町の若い娘さんがジャカルタにメイドに奉公することになりました。その理由を尋ねたら、田舎の家でメイドを雇うお金を稼ぐためだということでした。

2018年5月15日 掲載
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