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連載 第四十五話-UNCTAD・GSPセミナーこぼれ話(その16)-

今回の最初のトピックは、これまでのこぼれ話主体から少し離れて本筋に近い話題に回帰して、日本がGATTに加入した60年も前の時代について触れることから始めたいと思います。

【日本のGATT加入】

昭和50年代の話になりますが、当時、大蔵省の五階には「大蔵省文庫」だったか「大蔵文庫」と呼ばれた大蔵省の執務参考図書を集めた図書室がありました。忙しい時期が過ぎるたびに行きましたので、この文庫には大変お世話になり、多分、在籍中数百冊は読んだものと思われます。大蔵省の広報誌「ファイナンス」のバックナンバーは全て揃っていました。省の所掌業務を反映して、経済、財政、租税に関連した書籍・文献が多いのですが、中には随筆など肩が張らないものもありました。その中でも特に感銘を受けた書籍が二冊ありました。一つは、著名な現代経済学者と同時代を生きたジョン・ケネス・ガルブレイス教授(John Kenneth Galbraith)が著した「不確実性の時代」であり、他の一冊は、ガルブレイス教授が攻撃の対象としたうちの有力な一人である、シカゴ大学のマネタリストとして知られるミルトン・フリードマン教授(Milton Friedman)(1976年ノーベル経済学賞受賞)による「選択の自由」でした。皮肉なことに、ともに仲良く2006年に亡くなっています。

文庫は読みたい書籍を借りるだけですから時間がかからないのでいいのですが、上司が海外出張などで不在にしており時間が取れる機会を捉えて、合同庁舎地下にある大蔵省資料室(局ごとに区分されて整理されていました)にこもったものです。関税局在籍者は担当業務によって濃淡はあるものの好むと好まざるに拘わらずGATTの知識を必要とされますが、この資料室には日本のGATT加入申請からこれが認められた時代の貴重な資料が保存されておりました。正式に日本は1955年にGATT加入を果たしましたが、保管されていた資料によれば、一番日本の加入を後押ししたのは他ならぬ米国でした。他方、一番強硬に反対したのは英国でした。どうも当時このことは周知の事実であったようです。

GATTシステムには締約国数を増やす方策の一つとしてネガティブな方法ではありますが、既締約国が新規加入を希望する国との間においてGATT関係を樹立したくない場合(端的に言いますと、自国が譲許した関税率を加盟申請国には適用したくはないということです。)、GATT第35条(特定締約国間における協定の不適用)の規定を援用することができます。日本が加入した時期には34の締約国がありましたが、そのうち、英国、仏国、豪州など第二次大戦の相手国を中心に14ヵ国が日本に対し第35条を適用していました。当時は英・仏・蘭が多くの植民地を抱えていたため、日本はこれらの植民地市場においても貿易上の不利益を被っていたことになります。従って、GATT加入という悲願を果たした後の日本にとって、次なる大きな課題は対日第35条適用国に対する撤回への努力でした。最初に撤回に応じたGATT締約国は日本に理解を示してくれていたインドでした(日本加入3年後の1958年に撤回)。資料室には当時関係省庁の幹部が手分けして第35条援用国に撤回交渉に赴いた出張報告も綴られていました。当然、関税を所管する大蔵省も参加しており、某アフリカの適用国からは暗に政府開発援助と引き換えを匂わされた旨にも触れられていました。その後、1964年に日本が先進国クラブであるOECDに加盟したこともあって、1975年までには対日第35条援用国は無くなりました。現在の日本の繁栄にはこれら先人のたゆまぬ努力があったことを忘れてはならないと思います。

筆者は関税局各課勤務を通じてGATTをかじりましたが、一言でGATT究極の目的とは何かと問われましたら、「多角的自由貿易体制(GATT multilateral free trading system)を具現すること」にあると答えるでしょう。筆者の理解するところでは、このために次の三原則を確立することが必須であると思います。まず、前提条件として各国における国際貿易において、その輸出・輸入に数量制限が課されておらず、貿易を律する唯一の手段が関税措置であることです(GATT第11条:数量制限の一般的禁止)。次に、ある締約国にある商品が持ち込まれる際、公正な競争を実現するため供給する輸出国の如何を問わず関税上同一の扱いを行うことです(輸入における最恵国待遇(MFN: Most-Favored Nation Treatment)原則と言うか、無差別原則:同第1条及び第2条)。最後に、一旦、国内にその商品が輸入されましたら、今度は、同種の国産品に適用される国内法令と同一の扱いを行うことです(内国民待遇(NT: National Treatment)原則:同第3条)。例えば、国産のビールの内国税が△%であれば、輸入されたビールにも同じ税率(△%)を適用するということです。この三原則がGATT精神と言えるのではないかと思っています。

GATTをかじっている時期、いわゆるラウンド(多数国が参加する交渉を意味しますが、GATT創設当初4回までのものは関税引き下げ交渉がメインであったため、多角的関税交渉と呼ぶのがピッタリでした。ところが、その後は種々の非関税措置をもカバーされるようになったため、多角的貿易交渉(multilateral trade negotiations)と言われるようになりました。)における関税交渉のメカニズムとその成果に新鮮な驚きがありました。通常、自国の主要な輸出関心品目に係る輸入国の関税率が高いのではないかと思料される場合、その主要な輸入先国に対して、主要供給国(principal supplier)として関税率引き下げを求めるリクエストを行います。相手国も主要輸出品目について同様なリクエストを返してきますが、この相互のリクエストを基礎として二国間交渉が開始されます。MFN原則の妙は、ある交渉国がある産品について相手交渉国に交渉の結果譲許した関税率をその他全ての交渉国にも同様に適用する約束により、関税引き下げの利益が直接交渉をしていない交渉国群にも及ぶところにあります。一見、これは漁夫の利のように見えます。現在は少量しか輸出していない品目であってもポテンシャルがあれば将来的に大幅に伸ばす可能性も多くの交渉国に同時に同様にあるわけで、貿易拡大効果が期待できます。GATTはギブアンドテイクの世界であり、これら二国間交渉の合意を積み上げますと仮に交渉絶対数は少なくとも、大きな関税削減の成果となっていきます。このことがGATTの歴史において、たびたびラウンドが行われてきた大きな理由なのだと思っています(最後のラウンドは2001年に開始されたドーハラウンドで、これはGATT・WTOの歴史では9回目になりますが、残念ながら今日まで一部の成果しか上がっていません。)。

我が国においては、大戦中は税関業務が無くなり税関は海運局に統合されていましたが、戦後、海外貿易の開始と共に税関が再開され本省機能としては、大蔵省主税局税関部として発足しました(大雑把に言えば、一時期、職員数八千人の税関と7万人を擁する国税局・税務署とを考慮した場合、組織の力関係を踏まえますと当時はやむを得ないことだったのでしょう。例えば、カナダなどの諸外国においては、同一の組織が内国税と関税を担当する例が少なからず散見されます。日本においても過去の政府組織の改編論議において水面下で国税が税関組織を統合する構想もあったと言われています。)。その後、日本経済は奇跡的な復興を遂げ、貿易も飛躍的に伸び、これに伴い税関業務も大幅な増大となりました。ここで国会と言う切り口で見ますと、政府委員として答弁できるのは局長以上とされており、部長(例えば、主税局税関部長)や課長は事実関係の発言に留まる説明員でしかありません。このため、多忙を極める主税局長が税関諸問題に係る国会での質問にすべて答弁していたわけです。迅速な輸出入手続きの処理という時代の要請もあって、税関を巡る業務については1961年11月に主税局から独立し、関税局として活動を開始しました。

この見出しは次のエピソードで締めたいと思います。日本の得意芸は原材料に乏しいため加工貿易と言われていますが、戦後の復興期も例外ではありませんでした。輸出を伸ばすためには多くの原材料の輸入が必要とされ、特に、原料供給国である米国との二国間貿易においては、常に貿易赤字を抱えていました。ある時、日本側が米国に対してその是正を求めたところ、先方から「貿易収支は二国間ベースで見るものではなく、全体でバランスがとれているかどうかで判断すべきと考える。」と言われたそうです。翻って1980年代に入り立場が逆転しましたが、ある事務折衝の場で米国が対日貿易不均衡の是正を求めたところ、同じ論理で切り返したそうです。その後、この貿易不均衡問題は、政治問題に実質的に変更され、輸出の自主規制を始めとする種々の対策がとられたことは皆様ご存知のとおりです。

【セミナー風景雑感】

ちょっとヘビーなトピックで開始しましたので、後半は息抜きをしましてセミナーにまつわる軽い話題で、かつ、短くおさめることのできるものにしたいと思います。

こんな時代があったのかと驚かれていると思いますが、1980年代の国連主催のセミナーでは、参加者席のあちこちは勿論のこと、講師陣の座るひな壇(podium)にも灰皿が置かれていました。主要な航空会社が運行するフライトの中でも葉巻はさすがに禁止されていましたが、紙巻きたばこは吸うことが出来ました。一部のキャビンアテンダントも吸っていました。また、セミナーの最中、時差のため睡魔に襲われた年配の講師が居眠りを越していびきまでに及んでいたこともありました。これとは逆に、ある講師が説明中、参加者の一人が前の方の席で軽いいびきをかくに及んで、講師が自分の話す内容がつまらないからこのような事態を引き起こしたとの自責の念を転嫁すべく、怒りをあらわにして参加者に注意喚起をしましたのでセミナーがどっと沸いたこともありました。

アフリカ某国でのセミナーで副大臣が開会挨拶に現れましたが、参加者がたった8名と言うことを知って激怒し、直ちに秘書に参加登録者で出席していない貿易業者に電話するよう命じました。1時間後やっとセミナーを開始しましたが、全員で12名でした。これは筆者の経験ではワーストの記録でした。エンテベ空港でエールフランス機がハイジャックされた事件(その後、人質救出作戦の舞台となった旧エンテベ空港は取り壊され、現在は別の場所に建設されています。空港からホテルに行く途中、この廃墟となった空港を見ました。)が起きたウガンダでもセミナーを開催しましたが、エイズ患者が多く存在する国であり、また、宿泊ホテルにその筋の女性がたむろするような環境でした。筆者はセミナー期間中、一歩もホテルから出ず、結果、外部では一切お金を使いませんでしたので、ウガンダ滞在中の支払いのすべてはホテルへの支払い一回だけで済みました。

2018年7月13日 掲載
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