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連載 第五十一話-ADB編(1)-

本当に便利な世の中になったもので必要な情報や、知りたいことは組織のオフィシャルサイトやWikipediaを検索すれば、基本的なところはすぐに引き出すことできます。パソコンで検索できる対象のデータベースは膨大なものとなっており、最早、分厚い百科事典など必要なくなりました。今回からADB編にはいりますが、昨今のこのような環境においては簡単に得られる情報はなるべく割愛して、付加価値を高めることが出来るような話題を取り上げないと簡単に読者に飽きられてしまうこと必定でしょう。

ADBは財務省的には国際開発金融機関(MDBs: Multilateral Development Banks)のうちの地域機関で、他にはアフリカ開発銀行、ラ米を対象とした米州開発銀行などがあり、他方、グローバルな開発銀行としては世界銀行(WB: World Bank、5つの組織から構成されているため、往々にして「世銀グループ」と呼ばれることがありますが、その中核はIBRD: International Bank for Reconstruction and Development: 国際復興開発銀行で、いわゆる世銀と呼ばれている機関です。)があります、となることでしょう。戦後日本は1952年に世銀に加盟しましたが、何と当時はローンの借り入れ国で、よく知られている世銀からの借り入れ案件は「東海道新幹線」の建設でした。余談ですが、当時の大蔵省国際金融局の人から聞いた話では、世銀は、日本政府のこの借入案件についての繰り上げ債務返済要請に待ったをかけたというのです。世銀の言い分は、「日本のような優良な債務返済国も珍しい。他の借り入れ国への見本となるよう、当初の返済スケジュールに沿って、返済して頂きたい。」だったそうです。本題に入ります。

【ADBの周辺(雑学)情報】

筆者が初めてマニラの地を踏んだ1982年当時は、ADB本部ビルはマニラ湾に面しておりフィリピン中央銀行からも歩いて行ける距離にありました。当時の職員数は現在(後述します)の半分以下だったと聞きましたが、それでもオフィスは手狭になったと見えてフィリピン中央銀行を含む3か所くらいに分散してオフィスがありました。現在、この本部ビルだった建物はフィリピン外務省が使っています。現地に滞在していた3年間のうち、一回だけマニラで開催されたADB総会に頭を使わないお手伝いをしたことがあります。何かと言いますと総会会場で大蔵省からの代表団の着席する座席の場所取りをしたのでした。当時の大蔵大臣は故竹下登氏(なお、日銀総裁は故澄田智氏でした。)で総会後、関係者から大臣からの差し入れということで即席麺を頂きました。当時の本部ビル大会議場には、棟方志功氏の大作の緞帳がありましたが、新本部ビルにはありません。どうなったのでしょうね。緞帳は使用する場所のサイズに合わせて作る特別注文製作品でしょうから、あるいはフィリピン外務省が引き継いで使用しているのかもしれません。なぜこの緞帳を覚えているかと言いますと、当時大蔵省から大使館に出向されていた書記官が大臣から御下問があった場合に備えて、棟方志功氏のことを丹念に調べていたからでした。

旧本部ビルの近辺は当時tourist beltと呼ばれていた地区の端にあり周りにはカラオケなどがあって決して勤務環境は抜群ではありませんでした。新本部ビルは更地を開発した内陸の地域に建てられ、心配するようなカラオケなどは一切ありません(筆者は1年間だけこの地区の塀で囲まれた住宅街(当地においてはvillageと呼ばれます。)に住みましたが、現在ADBが建っているあたりは、はっきり言って野原でした。)。現在は高層ビルやマンションが立ち並び、サンミゲル・ビール本社、マニラ電力会社本社ビルもあります。何と新ADBビルはADB Avenueにあるのです。フィリピン政府も粋な計らいをしたものですね。新本部ビルはマルコス政権後、コラソン・アキノ女史が大統領の時代に建てられました(1986年4月8日)。マニラ首都圏には高架鉄道が二本運行しており、そのうちの一本がMakati市からQuezon市まで伸びています。その途中駅の一つが(Ortegas Station、なお、ADBビルがある一帯はショッピング・センターを形成しておりオルテガス・センターと呼ばれています。)ADBへの一つの入り口(全部で四か所あります。)の真ん前で止まります。電車通勤者にとってはアクセスが容易なものとなっています。この路線はメインテナンスの悪さで物議を醸していましたが、最近、日系企業が補修管理を行うことが決まりました。

ADBの組織としての大きさですが、最近の数字によると全体で約三千名、うち専門職員が1,100名弱で日本人職員数は150名強です。したがって、日本人職員の全体に占める割合は14%となります。これは比較ですが、財務省の公表されている資料によれば、ADBを含む全ての国際開発金融機関の日本人職員の総数が300人ちょっとですので、その半数がADBで占めており大健闘をしていると言えると思います。筆者の現役時代の大雑把な国籍というか地域分布で見た場合、(1)欧米系、(2)印パキスタン系、(3)東アジア系、それぞれ三分の一と言う感触でした。域外の欧米系が職員として勤務しているのは、ADBの場合、域内・域外を問わずADB加盟国国籍を有する人のみが職員になれるためです。

ADBの主要な役割は、途上加盟国の諸々の開発を支援するため優良な開発案件に市中銀行よりも有利な条件で融資を提供するところにあります。基本的には、グローバルな開発融資機関である世銀も同様な役割を担っていますのである意味業務上競合関係にあります。これは一昔よりちょっと前の話ですが、40ちょっとあるADB域内の途上加盟国に勤務する世銀フィールド・オフィスの職員数が約850人と当時のADBの総専門職員数900余名に匹敵するもので、ADB上層部はこのことに相当な危機感を持ったと伝えられています。筆者の受けた印象を恐れずに書きます。ADBはその設立当初から途上加盟国の「ホームドクター」を標榜しており(ADB初代総裁であられた渡辺武氏の回想録にはこの語がでてきます。)、毎年、融資受け入れ国との丁寧な政策対話を通じて融資案件を構築していきます。当然、この日本的な手法ともいうべきプロセスには時間がかかります。しかしながら、相手といわば納得ずくの合意で進めていきますので一旦決定されれば、円滑に実施されます。他方、世銀のトップは米国人がその設立から就いていて、手法も米国方式です。平たく言いますと、地域事務所に大きな権限を与え迅速に融資案件を発掘して提供するやり方です。大型融資案件が提供できない、又は、途中で融資が挫折する案件を承認した地域事務所のトップは間髪入れず交代させられます。この際立って対照的な手法の差異についてはそれぞれの得失がありましょう。少し誇張して書きましたが、世銀の手法がすべてこのやり方ではありませんのでお断りしておきます。他方、ADBも域内の途上加盟国の殆どに事務所を設立しており、現地事務所への融資案件承認権限の委譲(delegation of authority)も鋭意行っています。

ADBにおける業務について融資が主とすれば技術協力は従との位置付けになると思います。現日銀総裁の黒田東彦氏がADBに就任される直前には、技術協力事業件数が年間300はありました(ADBではこれらの案件を具体的に実施するため登録された個人や企業の入札を促すため、ADBの理事会で承認された案件はホームページで公開しています。また、承認を受け実施された技術協力事績の概要はADB年報に記載されます。)。その後は、クラスター(cluster)と呼ばれる、似たような案件を束ねた技術協力案件を構築することも併用して行われましたので、絶対数は減少しているはずです(例えば、従来は3本の別個の技術協力案件であったものがクラスター制度では1本で内訳3のコンポーネントによって構成されるというものです。)。UNCTADのGSPプロジェクトの予算額が年間50−60万ドル程度に留まっていましたので、ADBの一件で1−2百万・ドルの技術協力案件を見る度にため息が出たものです。

フィリピン政府とADBとの本部協定(Headquarters Agreement)に従い、専門職員には所得税が免除されています。国連やその専門機関を始めその他多くの国際機関職員も同様の便益の適用があります。通常は、自国にこれら国際機関が置かれている場合において自国籍を有する職員にはその国の政府が「留保」(reservation)を付すことによって課税が認められます。後述しますが、例えば、筆者が東京・霞が関ビルのアジア開発銀行研究所(ADBI: Asian Development Bank Institute)勤務時代は、外国籍の同僚については所得税が免除されていましたが、筆者をはじめ邦人職員には課税されていました。ADBには外国籍の職員が1,100名を超えており営業可能水準に達しているのでしょう、構内に免税ガソリンスタンドがあります。ただ、利用してみての経験では市中価格より2割以上安かったという記憶はありません。また、小規模な免税売店もあります。ワインとチーズだけは欧米系の職員を意識して置いているはずで、品揃えが豊富でした。退職した人は当然ながら入ることが出来ません。

現役時代自分に課していた原則の一つに「補助職員とはトラブルを避けること」がありました。国連(UNCTAD)の場合、補助職員の国籍は多岐にわたりますが、ADBはほぼ100%がフィリピン国籍(かつ女性)で外国籍職員の理不尽なbehaviorに対しては一枚岩で団結します。容易に想像されることと思いますが、彼女たちは話好きというかゴシップ好きで(例外は少ないと思います。)、専門職員(ADBではinternational staff: ISと呼ばれます。)とトラブリますと口コミで翌日にはほぼ全員が知ることになります。このため、自分のために働いてくれている補助職員とトラブリますと、後日違う形で違う人からうたれるのです。仕事上、ISとは意見の相違があれば大いに喧嘩でも議論でもして差支えはありませんが、補助職員とはタブーと自分に言い聞かせていました。ADBには最低4か所のコーヒースタンドがあります(スタバもあります。1982年当時は一流のホテルでもコーヒーを注文すると、ネスカフェのインスタントがサーブされたことからしますと隔世の感があります。)。食堂は、セルフサービス式のカフェテリア(1階)とサーブ方式のレストラン(2階)があり、また、レストランに隣接して数十人のグループが利用可能な4−5の個室があります(例えば、日本人会のランチ、セミナー参加者の会食などに使われます。)。

2018年10月15日 掲載
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