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連載 第五十二話-ADB編(2)-

今は退職しており現役ではないのですが、それでも退職してそんなに時間が経っていないこと、また、話題の対象人物についても未だ現役の方でしたり、他方、退職していても存命されている方も多いので、いきおい、生々しい部分もあってはどこまで書くべきか悩むことが多々あります。

【補助職員への所得税課税問題勃発】

見出しが多少大げさかもしれないもののADBに二千名近く勤務しているフィリピン国籍の補助職員(これはSupporting Staffを訳したものです。)への課税問題は彼女たちにとってこれ以上大きな問題はないくらいでしたが、本件は筆者が退職した直後に露見しました。野次馬根性丸出しで情報収集に励んだものです。全部は把握できていないと思いますが、ことの経緯は次のようなものでした。本件は露見するまで彼女達が住んでいる住所を管轄する税務署に対し、(1)正しく32%の所得税を納めていた職員(当時の所得水準に対応した税率のブラケットは32%でした。現在、議会で税率のブラケット数を増やすことを議論しています。ただ、この税率で納税していた人は極めて少数と言われています。)、(2)詳細や経緯が不明ですが15%の軽減税率を収めていた職員(これも少数と言われています。)、及び(3)無申告で納めていなかった職員(これが大多数でありました。)、の異なった取り扱いが行われていたというのです。本当でしょうか。ともあれ、これが露見してから当時の女性のBIR長官(Commissioner, Bureau of Internal Revenue: 内国歳入庁長官、日本の国税庁長官に相当します。)は、全ADB補助職員から32%の所得税を徴収するよう通達を出しました。

このBIRの決定にADB内はてんやわんやの大騒ぎとなり、仕事そっちのけでひそひそ話が行内各所で見られたそうです。なにしろ、降ってわいたように収入の約三分の一が税金で「消滅」してしまうのですから。この影響は甚大で、二年以内に退職を迎える一部の補助職員は所得税を払うくらいならということで即刻退職を選択しました(これは影響が大きく、例えば、技術協力に関係する事細かな規則の塊である予算執行各種手続き、会計、報告事務等に長けた古参職員の退職となるわけですから、ADBにとっては全体的に「戦力」の減少に繋がります。)。結果、最低一割の職員が退職してしまったと言われています。ADBでは、繋ぎとめる策の一つとして税額を上限とした無利子ローンの提供を決定しました。本件は基本的には補助職員個人個人の税務当局に対する納税に関する問題であって、組織としてのADBが当事者になるような案件ではありません。前述のように問題の核心はフィリピン政府が、自国籍職員について明示的に課税権の「留保」を行ったのかどうかなのだと思いますが、行っていたという人もいればいなかったと主張する人もいて、部外者の筆者にとってはこの点はどうも曖昧でした。あの関税局長特別補佐官が生きていてさえしてくれたら直ぐにはっきりしたのにと思ったことがしばしばありました。この問題は最終的に裁判所の判断を仰ぐという進展を見ました。結論は、判決が出るまで確か1年半くらいかかりましたが、補助職員側の勝利に終わりました。良かったですね。優秀な職員の更なる流出を防ぐことが出来ました。

さて、野次馬根性の本領を発揮するところ、つまり、ある人がADBに勤務しているという情報をどうして税務当局の知りえるところとなったのかという点です。当時、雑談しながら知り合いの補助職員に色々聞いて回りました。こういううわさ話は尾ひれがついて次第に大きくなっていくものですが、まことしやかに伝わっていたことには大別して二説ありました。一つは、ADBで臨時補助職員として働いていたある女性が、結果的に正規職員として採用されなかったことにより、その腹いせに職務上知りえた補助職員の氏名と住所の記載されたリストを税務署に渡したというものです。他の一つの方がフィリピンのコンテキストにおいてはより過激で現実味がありました。ある独身男性IS職員を巡って複数の補助職員の恋のさや当てが起きたというのです。敗れた方は悲しさと悔しさのあまり、勝利者となった補助職員や全ADB補助職員に対し経済的なダメージを与えるため見境なくリストを税務当局に提供したという説です。怖いですね(後者は脚色の色彩が濃く、あるいは前者であったのかもしれません。)。ここで一つ疑問が湧いてきます。ADB当局は自発的に税務当局にフィリピン国籍の職員の名簿を提出すべきなのでしょうか。考慮すべき要素が結構あって難しい問題です。日本とフィリピンとの風土・慣習の違いから税の徴収などの仕組みも異なっていまして、日本ではサラリーマンにとって当たり前の「源泉徴収」(withholding)がごく一部を除いて行われていません。ADBもしていません。フィリピンにおいては、一般に、個人個人が毎年納税申告(tax return)を行う仕組みとなっています。

蛇足ついでにADBというかフィリピンという土地のなせる業と思われる現象について触れます。現在でも変更がないと思いますが、当地の民間企業の慣行を反映してサラリーは月二回に分けて支払われます。口さがない人に言わせますと、フィリピン人は計画性に乏しく手許にあればあるだけ全部使い切ってしまう性癖があるので月一回にすると結果として借金することになってしまう、このため、一月分を月の始めと月央の二回に分けて支払っているのだ、と。補助職員には12月に13か月目というか一月分のボーナスが支給されます。これも、民間企業の慣行を反映したものです。ISにはボーナスはありません。年俸を24で割って、月二回、補助職員同様支払われます。フィリピン以外の地の国際機関でこのような支払の例を聞いたことはありません。が、特異な例は探せば出てくるかもしれません(ここまで書いていて若い頃暇に任せて各種法律を拾い読みした記憶が蘇り、今回改めて「一般職の職員の給与に関する法律」をパラパラめくっていましたら、その第9条(俸給の支給)にその月の全額支払いは15日過ぎならいつでも可能なこと(確か、自衛隊員の俸給支給日は毎月15日だったと思います。)、また、特に必要な場合には、月の前半と後半の半額ずつを分けて支給することが出来る旨規定されています。これでは、フィリピンと変わらないですね。)。

【ADBのフレックスタイムなど】

ゴシップ記事となりましたので閑話休題。ADBは勤務時間に関してフレックスタイムを採用しています。一番早い勤務開始の朝7時から朝の勤務時間帯で一番開始が遅い9時まで30分刻みで選択できるというものです。他方、ランチは30分と1時間のいずれかを選択することができます。筆者は、朝夕の渋滞を避ける意味と雨が降っても濡れない地下の駐車場を確保する見地から、朝7時から午後3時(ランチは混む時間帯ではないカフェテリア開始の11時半には食べないとお腹が空いてしまう関係で30分もあれば十分でした。)が勤務時間でした(他方、一番遅い選択肢は、朝9時から午後5時半です。)。尤も、筆者は朝6時半にはADBには着いていました。朝方に勤務をシフトした場合の利点は、周りが騒がしくないので静かな環境でその日のうちに終えなければならない仕事に集中できること、また、コピー室は混んではいないので待つ時間は必要なく自分でとれることでした。朝3時間も集中すれば大体一日の大事な業務は終えることが出来ました(これは個室執務の利点でした。)。帰りの時間は午後3時なので家には3時半には大概着いていました。笑い話ですね。なお、ADBでは、朝10時から午後3時までを「コアの時間帯」として設けていて、例えば、スタッフミーティング・内部セミナーなどはこれを尊重してスケジュールを組んでいました。

前述したとおりフィリピンには乾季と雨季の二季しかありません。現役時代に住んでいたところの駐車場はコンドミニアムの地下でした。雨季には当然湿度が高くなります。ADBのフレックスタイムにより、ADBでも地下にある駐車場に止めていました。乾季の灼熱の太陽光線は避けることが出来ましたが、雨季には笑えない問題が発生しました。そうです、日光に当てないため雨期に入りますと、車内にカビが生えました。他方、一か月近くマニラを離れますと、車のバッテリーが弱くなっている場合、マニラに戻ると上がってしまい、ガードマンに押してもらわなければなりません。この教訓から、マニラを離れる度にカー・バッテリーのプラスかマイナス極のどちらか一方を外して不在中のバッテリー消費を避けています。

車の話に及びましたので当地の車の雑学に触れます。当国では大使公用車はすべて1000番を付けています。区別する場合は大使車のボンネット脇に掲げられている小型の国旗を見なければなりません。外交官のナンバーは4桁の数字のみです。外交上のプロトコールによれば、国際機関の長は序列として独立した国家の次にランクされます。大使に準じた待遇が与えられるということです。ADB総裁の公用車の番号も4桁ですが1000番ではないものの安全上の理由から触れないことをお許しください。国際機関職員の場合、例えば、ADBは局長以上が4桁のナンバーでその他の職員は5桁の数字です。これらはすべて白のプレートです。プレートの色が赤になりますと政府関係車で、緑は一般車、また、黄色はタクシーなどの営業車です。マルコス時代、大統領はプレートが1番で、イメルダ大統領夫人は2番でした。現ドゥテルテ大統領の前任のベニグノ・アキノ三世大統領は独身でしたので、2番は欠番であったと思われます。なお、議員車は皆8番から始まる番号を付けています。フィリピンでは、車の免許証関係事務はLTO(Land Transportation Office、陸運局)が行っています。基本的に3年ごとの更新でした(最近、更新しましたが現在は5年間有効となりました。)。なお、中東などに働きに行く人が多いためと考えられますが、失効しても2年以内であれば更新できるようです(筆者の経験では失効1年半でも更新できました。)。融通が利きますね。

【特別なカラオケ大会】

第6代ADB総裁であった故千野忠男氏は、その昔、国連本部の主要な機関であるECOSOC(United Nations Economic and Social Council: 経済社会理事会)の下にある5の地域委員会の一つでESCAP(United Nations Economic and Social Commission for Asia and the Pacific: アジア太平洋経済社会委員会)の前身であるECAFE(Economic Commission for Asia and the Far East: アジア極東経済委員会)に「アジア開発銀行」創設のための協定草案の起案者の一人として大蔵省から出向されていました。氏は積極的にこの事実を喧伝するような人ではありませんでしたが、ADB幹部の方々はこのことを承知しており、今日のADBの生みの親の一人である氏を尊敬しており、悪く言う人はいませんでした。氏が財務官時代、メモ取りで何度か財務官室に入ったことがありましたが、当時は強面の感じで厳しい人との印象がありました。ところが総裁になられてからは柔和かつ皆にくだけた人になられていました。ADBの慣習としてクリスマスの前に総裁が各局各課を回り職員に1年間のねぎらいの言葉をかけ、記念撮影を撮る恒例の行事があります。この機会には本当に気さくな印象を皆に与えておられました。

それでもやはり、ADBの政策や融資・技術協力案件の承認を行う事務局の最高意思決定機関で12名の理事から構成される理事会を乗り切るにはかなりのストレスとなるようでした。ということで多くて年二回総裁を囲んでフィリピンにある各組織に財務省から出向している職員を集めてカラオケ大会が開かれていました(ADBに12年在籍していましたが、このような大会開催は後にも先にも千野総裁時代だけでした。)。一種異様な感じと言った方がより適切なのですが、1ダースほどの大の男が暑いのにダーク・スーツ姿で(女性が一人もいない。)カラオケボックスを借り切っての大会です。前後に護衛車を従えて総裁が御到着、道路の周りの人たちは何だ何だという感じで人だかりができます。このような雰囲気を背負って一人二曲は歌うルールでこちらとしてはちっとも酔えません。それでも総裁にとっては貴重なストレス解消の機会となっていたようでした。もう一つ、千野総裁にまつわるエピソードに触れます。マニラ首都圏中心部マカティ市から旧市街のあるマニラ市に向かう途中にとある一本の通りがあって、その名前が変更になったので千野総裁をお呼びしてこの通りにある日本食レストランで一席を設けました。総裁はいたくお喜びの様子でした。なぜなら、新しい通りの名前が何と「Don Chino Street」と改称されたからでした(なお、念のためこの改称は千野総裁とは一切関係無かったことを付け加えます。)。

2018年10月31日 掲載
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