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原産地関係エッセイ・論文・講演資料

連載 第五十五話-ADB編(5)-

【御厨WCO事務総局長(SG)との思い出】

筆者がUNCTAD勤務をしていたある期間に、(最近、WCOの歴史では初めてとなる第三期目の事務総局長就任を確保された)御厨氏はジュネーブ日本政府代表部参事官として着任され、GATTというかウルグアイ・ラウンドの担当をされていました。この時3年間ジュネーブで重なりましたが、それ以来お付き合いをさせて頂いています。後日、氏がWCO総局次長の頃と記憶していますが、WCOとADBとの間でMOUを結び公的な協力関係が出来れば素晴らしいですねと言う話になりました。ADB来訪の折、筆者の上司であるチーフエコノミストに会って頂きましたが、チーフエコノミストは必ずしも乗り気ではなく(そもそも技術協力一般には熱心な人ではありませんでした。)、当面は実績を積み上げて行って、適当な時期が到来したら進めようということに落ち着きました。実績作りには、例えば、ADBとの単発の共同事業としてWCOの専門家をお招きして原産地規則や改定京都規約などのセミナーを開催しました。御厨氏にはWCO専門家の派遣などのお骨折りをして頂きました。

ADBでは長い間筆者のみが税関のバックグラウンドを有する職員でしたので、ラッキーなことにある意味行内には競争相手となる職員はおりませんでした。そのうち、マネーロンダリング対策のプロジェクトが米・豪の技術協力予算によりADB内に設立され、米国税関から本件を担当する出向者が赴任してきました。筆者はOECDなどとのMOUを参考にしつつ、WCOとのMOU案のたたき台を作成し、彼に内容をチェックして頂きました。そのうち筆者はドーハ・ラウンドに係る技術協力案件発足のため忙しくなり、彼がADB内におけるWCOとのMOUの旗振り役を担いました。MOUドラフトも最終版まで完成し、ADB関係局が集まって会議を数回開きましたが、ある局が最後まで同意せず宙に浮いてしまいました。この結果、いたずらに3年が経過し、この米国税関職員もプロジェクトの終了と共にADBを去ってしまいました。

実は黒田総裁がご就任されていの一番に立ち上げた組織が「OREI: Office of Regional Economic Integration、地域経済統合室」でした(室長には副財務官を経験された東京大学出身の某教授が就きました。室長はその後、東京のADBI所長(英語ではDeanと表記しました。)に異動になりましたが、筆者がADBIに転勤した際の所長でありました。)。同意しなかった職員の所属がこのOREIでしたが、彼も東京のADBIに転勤になり後任者として某日本人が就きました。黒田総裁はその在任中、毎年欠かさずスイスの「ダボス会議」に出席されておりましたが、WCO御厨SGも同様に参加されておりました。にわかにMOUが転機を迎えました。
筆者は担当局勤務ではないため専ら「黒子」として動きましたが、とんとん拍子に話が進み、2010年にウズベキスタンで開催されたADB総会において黒田・御厨両氏によるMOU署名式にまでこぎつけることが出来ました(写真参照)。御厨氏にはASEM税関会合がブラッセルで開催されるたびにお世話になったほか、筆者が企画したドーハ・ラウンド交渉に関するハイレベル会合などに御多忙中にもかかわらず数回参加頂きました(これには、元USTRのクレイトン・ヤイター氏や同じくカーラ・ヒルズ女史にも参加して頂きましたので、後日詳しく取り上げたいと思っています。)。なお、OREIはその後、二つの局に吸収され、消滅しています。

WTO貿易円滑化交渉に係るADB関税局長・長官会議を企画し、承認取得後、東京のADBIにおいて開催しました(ADB加盟途上国のうちWTOに加入している国に限定しました。)。折しも関税局はアフリカ地域フランス語圏を対象とした税関上級管理者研修を開講中ということもあり、本件ADB会議と合同でカクテルパーティを当時の財務副大臣がホストするという形で開催されました。圧巻は、御厨氏が英仏日三か国語で挨拶されたことでした。途上国税関幹部に強いインパクトを与えたであろうことは疑う余地もないことでした。

【チーフエコノミストの思い出】

筆者は8年にわたるERD勤務時代、5名のチーフエコノミストにお仕えしましたが、一番強い印象が残っているのはインド人のIfzal Ali氏でした。彼は若くしてADBにエコノミストとして入行し、第4代総裁の藤岡眞佐夫氏から第8代の黒田総裁までの期間在籍しておりました。退職後、氏はサウジアラビアにあるADBと同様の地域金融機関であるイスラム開発銀行(Islamic Development Bank、略称 IsDB)のチーフエコノミストに就きました。彼はSPDや財務局のNo.2を歴任していたのですが、チーフエコノミストとしての就任日に局内でスキャンダラスな事件が起きました。何と、あろうことか男性IS職員2名が他局の某女性IS職員を巡ってオフィスで殴りあい、激しく殴られた方が後日辞職する展開となりました。補助職員の口コミのネットワークが遺憾なく発揮され、その日のうちにADB職員全員の知るところとなりました。チーフエコノミストは筆者になんで最初の勤務日にこんな事件のプレゼントを貰わなきゃいけないのだ、としきりにぼやいていました。

チーフエコノミストは筆者に経済の話をしても意味がないと思っていたのでしょう、彼からは難しい経済の話はなく、暇なときは藤岡総裁から始まって彼の個人的な体験を通じた歴代総裁の人物評の聞き役を務めました。内容はと言いますとここだけの話に近いもので、恐縮ですが控えさせていただきたいと思います。他方、これは、最近の黒田総裁時代のエピソードですが経済のプロフェッショナルとしてのチーフエコノミストの矜持に関するものなので敢えて紹介したいと思います。総裁就任間もないころに総裁室で幹部会議が開催されたところ、先進国経済の現状についても話題が上り、米国経済政策について総裁と意見の相違があったそうですが、チーフエコノミストによれば最後まで議論は平行線をたどったそうです。その後の会議においても小さい意見の相違がみられたことから次第に幹部会議には呼ばれなくなり、しまいには、筆者に「僕は現在総裁には(ADB旗艦文書の)ADOとその見直しの説明で年二回しか会えないのだよ。」と愚痴っていました。これもまた彼なりの生き方なのでしょう。補足ですが、普通は課長が行うのですが組織上課長職がなかったことから、彼が筆者の勤務評定を行いました。サラリーの昇給率については平均というか中央値を上回ることも下回ることもなく常に平均の評価でした。

【ADBI勤務あれこれ周辺情報】

ADBIは日本の高層ビルの走りであった霞が関ビルのワンフロアを丸ごと借り切っていて、8階にあります(1968年に完成しました。屋上には展望台がありましたが、開設当初は高層ビルから見下ろすことは畏れ多いと言うことで、皇居に面した方面はカーテンで遮られていました。)。在籍時は全員で60余名は勤務していたと思いますが、組織としては三部編成(総務部、研究部及び研修部)でした。当初は日本のみが出資していましたが、その後、豪州、中国、韓国が少額ながら出資に応じました。筆者の同期生が総務部次長として勤務していた関係で、ADBIの実態は赴任前から承知していました。ADBの公的業務に関連する事項については、ADBを設立する協定(Agreement Establishing the Asian Development Bankのことで行内では「Charter」と略称されています。)に各加盟国は免税措置を講ずる規定があって(第56条:課税の免除)、具体的に実例を挙げますと、ADB主催のセミナーなどに参加する途上国出席者のホテル宿泊費に課される消費税は事前のADBIと当該ホテルとの合意に基づいて免除されていました(他方、税に関するセミナーをマレーシアで開催した時には、約350ドルの消費税相当分の還付に3年近く要しましたが、定期的にフォローアップをしましたので、しっかり還付して頂きました。)。これは些細な話ですが、ADBの内規によりますと、例えば、ADB職員が東京で開催されるセミナーに参加する場合において、友人宅や自宅に宿泊した場合、ADBは当時のレートで一泊35ドルしか負担しません(出張の清算請求に当たっては、ホテルの領収書を添付しなければなりませんので、誤魔化しがききません。)。

これは筆者がADBに勤務していた頃のエピソードですが、ADBIには立派な会議施設がありましたのでADBIの会議の予定が入っていない週はADB本部の活動に使用することが出来ました。会議室利用そのものは事前承認が必要でしたが、無料でした。他方、会議をアシストするADBI補助職員については実費を払っておりました。当初は、セミナー参加者の宿泊代、日当、講師への謝金、時には旅費(講師が立て替えた場合)を当該セミナーのコーディネータである筆者がマニラから現金を携行しており最大で8万ドルもありました。瞬間的にリッチな気分になったものです。その後、ADBの会計から盗難・紛失などのリスクが大きいというクレイムが出されADBIと協議して、ADBIの取引銀行口座に払い込むことで決着がつきました。日本の銀行でドルに現金化する場合には結構な手数料がかかりましたが、仕方のないことで、この経費はしっかりとプロジェクトに計上しました。

余談ですが、ADBには加盟途上国が望まないような分野におけるADBの公的な活動については、自国において実施することを認めない権利を加盟途上国に認めています。このため、加盟途上国でセミナーなどを開催する場合、当該途上国当局から「No Objection」(異議なし)の意思を記したレターを取り付ける必要がありました(Charter第62条:承認とみなされる場合)。筆者が企画したセミナーには30ヶ国以上の途上国が参加するものもありましたが、これを加盟先進国である日本のADBIで開催しますとこの手続きは不要でした。一般に言って、途上国からの参加者は日本など先進国におけるセミナーなどの開催を歓迎する雰囲気がありましたが、このNo Objection Letter取り付けからの煩瑣な手続き回避も理由の一つでした。

突然ですが、ADBにはセクシャル・ハラスメントに関するガイドラインが設けられています。ADBIもこのガイドラインを準用しています。実は筆者が企画したセミナーで事件が起きてしまいました。ことの経緯は次のとおりです。中央アジアに位置する某ADB加盟国の政府高官がADBIで開催されたセミナーに参加しました。コーディネータである筆者には日本滞在中、中座してJICAなどの協議に臨みたい旨を言ってきましたので、事前の連絡を条件に承知しました。氏は英語を十分解せず、出席する場合はいつでも隣の席に大使館からの通訳を座らせてひそひそ耳打ちをされていました。

金曜日の最後のプレゼンテーションも終わり、筆者は休憩後の閉会式を待ちながら一息ついていました。突然、彼の宿泊ホテルの客室を担当する部長から電話が入りました。話の内容は、件のセミナー参加者(この日の午後は某機関との協議のため中座するとの連絡が入っておりました。)が部屋の備品を要求し、持ってきた女性客室清掃員に狼藉を働いたというのです。大事には至らなかった由ですが、精神的な苦痛は計り知れずと思料されました。部長が言うには、この清掃員はまだ若く、未婚であり公にはしたくないが、彼から謝罪をして頂きたいというのです。法律を齧った人はご存知のことですが、本件は優れて「親告罪」の対象となります(改正刑法論議の一環として、本件などへの非親告罪化の動きがありましたが、2017年7月以降、改正刑法が実施され非親告罪化されました。)。所轄警察にアプローチして頂かないと法律上は何もなかったことになります(平たく言うと、「泣き寝入り」とみなされます。)。筆者は部長に対し、「このようなことに至ったことは主催者として遺憾に思います。謝罪に持ち込むためには本件を警察にアプローチして頂かないと、親告罪の対象となる事案でしょうから、無き寝入りとなります。むごいことかもしれませんが、再度本人の意思を確認してくださる様お願いします。」旨伝え、筆者の週末の連絡先を添えました(ADBからの出張でしたが、ホテルには泊まらず東京の自宅からセミナーに出席していました。)。筆者は新聞沙汰になることを覚悟しました。しかし、この女性が意思の再確認の際、あらためて公にはしたくはないということで、警察には何らアクションを起こしませんでした。後日、ホテルの部長によれば、結局、この参加者は、翌土曜、大使館からの職員数名に守られて空港に向かったそうです。(次号に続く。)

2018年12月14日 掲載
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