日本貿易関係手続簡易化協会(略称:ジャストプロ 英文略称:JASTPRO)のウェブサイト

原産地関係エッセイ・論文・講演資料

連載 第六十話-ADB編(10)-

【インドネシアにおけるJICAプロジェクトでのエピソード】 (続き)

EUでは注意を要する国からの特定産品の輸入量に関するモニター体制が整っていて、貿易関係者は過去の事例に照らして「危険域」水準に達すると、当局によるAD調査に移行することがある程度予測できます。このようなモニター制度下においては、一旦AD調査が始まりますと、途中で調査が中止される可能性は殆ど無く、AD措置の発動に発展する蓋然性が極めて高くなります。従って、有能なAD専門の弁護士の腕の見せ所は、最早AD税をゼロにすることは無理な話なので、雇用主である輸出者のためにAD調査過程において、如何に低水準のAD税率を調査期間中にEU当局・同調査チームと折衝して獲得するかにあると言えます。通常、EUの場合、EU職員であるケースハンドラーAとEU加盟国政府職員であるケースハンドラーBの二人一組でAD調査が行われるため、終了までのプロセスにおける調査対象品目の重点の置き方やその後の諸認定に関しては、相対的に裁量の幅が大きいと言えます。輸出者のために働くAD専門弁護士は、いかに早くこの二人一組のチームの「癖」を見抜くかも極めて重要とのことです。つまり、誤解を恐れずに言いますと、EUの場合、米国のような詳細な補足規定がないため、AD法・協定の範囲内における調査チームの柔軟な実施や解釈が可能となります。このような特徴を捉えて、「EUのADはアート」と表現した訳です。

他方、米国の場合には、WTOのADに関する規定や協定に基づき国内法で調査から発動に至るまでの各プロセスにおいて数値を多用し(提訴から調査終了に至るまでの調査各段階において、例えば、提訴から調査の決定までに〇日間以内、また、調査の開始から終了までは△日間以内、というように期限の設定をしています。)、詳細な規定を置いて補完しています。このため、一旦AD提訴が行われますと、言わば自動的にこの詳細な規定の流れに乗ります。また、米国国内法では輸出国が少しでも不公平と感じた場合、競合する国内生産者はADに限らず相殺関税やセーフガードの提訴を並行して行うことも可能です。被害を被っていると思っている米国の産業は、こうすることによって米国における当該産品の輸入量が減少してくれれば、提訴が実際の発動に繋がらなくとも所期の目的を達成したことになります。このため、一時期これらの規定に基づく濫訴が問題となりました。1980年代は日本からの輸出に濫訴が多用され、「多重な法的嫌がらせ」(multiple legal harassment)と呼ばれました。当時は米国で提訴が行われただけで、日本の輸出者は以後の輸出を自粛する傾向が強かったと言われています。

閑話休題。前述の通り米国の慣行として問題が起きれば、まず弁護士や司法手続きに訴えますので、この訴えがその要件を満たしているかどうかの詳細な審査は提訴後に行われます。ADの場合、前述の米国のAD専門家によれば、全提訴数の三割位が提訴要件を満たさない等の理由により却下され、調査開始には至らないとのことでした。また、AD調査は、案件の大きさにもよりますが、通常4〜6名程度のチーム陣容となっていました。更に、数値の入った詳細なAD補足規定が存在しますので、EUの場合と異なり調査チームの裁量で物事を決めることは困難なことから、「米国のADはサイエンス」と称しました。感覚的には、AD発動件数自体は欧米には遥かに及ばないものの、日本のAD調査実務はEUに近いのではないかと感じています(日本は1980年代、鉄鋼製品の輸出に米国からAD課税を経験したことが端緒となって、欧米のAD課税の仕組みを勉強すべく「公正貿易センター」((財)国際貿易投資研究所)を立ち上げました。当初は最初の大きなAD課税事案となった有力鉄鋼メーカーからの出向者が職員として従事していました。)。

このプロジェクトに関与して暫くしましたら、日本の代表的な製紙メーカー数社がインドネシア製コピー用紙(カットシート紙)についてADの疑いがあるとのことで提訴しましたのでびっくりしました(2012年6月)。日本の当局が調査チームをインドネシアに派遣してきたことなどは承知していましたが、当局との個人的な接触は一切避け、官報など公的に得られた情報のみを収集して副大臣へのブリーフ・ノートを作成しました。この事案については、最終的に「インドネシア共和国を原産地とするカットシート紙について、不当廉売された貨物の輸入の事実が認められなかったことから、不当廉売された貨物の輸入が本邦の産業に与える実質的な損害等の事実は認められない。」との結論が出され、AD税賦課に至ることなく一件落着となりました。直接、現場にいたものにとっては、この成り行きにホッとしたものでした。

【クレイトン・ヤイター(Clayton Keith Yeutter)元USTRが参加したハイレベル会合】

1980年代後半ロナルド・レーガン政権下でUSTRを務め当時の日本の通商当局者からタフ・ネゴシエーターとして恐れられ、カーラ・ヒルズ女史の前任者であった故クレイトン・ヤイター氏にも2008年東京で開催されたWTOドーハラウンドの展望に関するハイレベル会合に基調講演者として招聘することが出来ました(氏は、USTR後、ジョージ・ブッシュ政権下で農務長官(日本で言う農水大臣)を務めています。)。招聘当時は、ワシントンで著名な弁護士事務所の顧問を務めていました。氏には、「オバマ政権の国際通商政策」について15分の質疑応答を含む1時間の基調講演をして頂きました。当時、オバマ政権においてはなかなか貿易政策を明確には打ち出していませんでしたので、この講演に関しては結構なプレスカバレージがありました。待遇面に関しては、カーラ・ヒルズ女史の前例がありましたので、スムーズに進めることが出来ました。ハイレベル会合自体は成功裏に終わりましたが、問題は別のところで起きました。

氏がADBIの入っている霞が関ビルに氏の同僚と共に宿泊していたホテルからタクシーで到着し、筆者がADBIの控室に案内して他の専門家を紹介しました。暫くしましたら落ち着きをなくし、氏がポケットや携帯してきたブリーフケースを幾度となく探し始めました。その後、筆者にこのビルに来るときに乗ったタクシーに支払い後財布を落とした可能性があると告げたのです。念のため、早速、宿泊ホテルに電話を入れ部屋の確認をお願いするとともに、筆者とチームを組んでいる補助職員にホテルまで行ってもらいました。彼に奥様に電話を入れるよう促し、クレジットカードの停止など緊急に手当ての必要なカード、IDカードなどの件について処理して頂きました。あと5分で会合の開始時間です。氏は開会挨拶の直後のトップバッターとして基調講演が待ち受けていました。これは流石と言うべきで、氏は完璧に1時間の持ち時間をこなしました。

多忙な氏を講演直後、他の補助職員にお願いして東京駅まで送って頂き、氏は成田エキスプレスで成田から米国への帰途につかれました。ADBIを去るとき、同僚から数百ドルを借用していました。筆者がこの時想定したことは、仮にホテルからADBIまでのタクシーでの移動の際財布をタクシー内に落としたのであれば、その直後に乗った乗客が「ネコババ」をしない限り出て来るであろう、でした。ホテルに行った補助職員からの報告では、部屋には見当たらずタクシー内に落とした可能性が強くなりました。ADB・ADBIでは大きな会合の初日には、カクテル・パーティが開かれます。パーティ終了後、ホテルに電話を入れましたが何の進展もないということでした。進展は翌日午前の遅い時間にあり、氏が乗車したタクシーの運転手が翌朝自分の業務が終了してから氏の宿泊したホテルに落とした財布を届けたとのことでした。これがマニラで起きましたら、間違いなく新聞記事になります。早速、氏にeメールを入れ財布が出てきたことを伝えるとともに、ホテルからこの財布を入手し氏の同僚に携帯託送をお願いしました。氏からは、すぐさま日本人の正直さを称賛する丁寧なお礼のメールが届きました。これは気持ちの問題ですので、補助職員にお願いしてこのタクシー会社に行って頂き、我々の心づけを届けてもらいました。ほとぼりが冷めてから、あるスタッフがこれは良い話なので新聞社に紹介してはどうですか、との示唆がありましたが、これは氏の矜持もありましょうから、有難い提案ではありましたが取りやめにしました。

【インドネシアにおけるJICAプロジェクトでのエピソード(番外編)】

このプロジェクトをホストした省は、ジャカルタのインターコンチネンタル・ボロブドゥール・ホテルに近い大蔵省と接した新しいビルに入っておりました。副大臣へのブリーフはこの新しいビルまで通いました。我々のオフィスは、この新ビルから歩いても3分の距離にある極めて古い建物の中にあり、インドネシア・ナショナル・シングルウィンドウ・オフィスの一部を間借りしていました(このオフィスの室長は、我々のプロジェクトの実務面におけるカウンターパートであったためでした。)。建物の前方に公園が配置されているこの古いビルは、オランダ統治時代、総督が使用した由緒のあるビルと言われており、残業したら幽霊が出るぞと冗談を言い合ったものです。まともなトイレはないため、必要なときは別のビルに行かなければなりませんでした。

我々コンサルタントの宿泊場所は、オフィスから車で15分程度離れた住宅地にあり、民家を改造して部屋数を増やし日本人用に提供していたキッチン完備の宿泊施設でした。このため、定期的な宿泊者には各種JICAプロジェクト従事者や邦人企業の工場への長期出張者が多く滞在していました。嬉しかったことは日本食が朝夕提供されたことです(イスラム国ですが豚肉も提供されました。)。また、朝、洗濯物を出し勤務を終えて帰りますと、室内に届けてありました(室料に含まれていました。)。30年前位の統計では、日本のODAの大宗が東南アジアに集中し、その中でもインドネシアが第1位であったとの記憶があります。現在でもインドネシアは日本のODAの主要受益国には変わりはないと思われます。このため、宿泊した施設を運営していた会社は、別途ジャカルタ市内だけでも他にも二か所営業していました。それだけ、日本のコンサルタント等が働いているということだと思います。週末は住宅街の中をジョッギングして汗をかいたものです。

このプロジェクトの締めくくりとして、副大臣を団長として9名の各省からの局長クラスを団員としたEUとオランダ税関への研修視察に同行する機会がありました。我々が訪問した週は、偶々ブラッセルで年に一度の大きなtrade fairの開催時期に重なり、ホテル価格が倍以上に跳ね上がり、と言いますかまともなホテルの予約がブラッセル市内では取れず、車で優に40分は要する郊外の学園都市での宿泊となりました。我々は事前に小型バスをチャーターしこれでオランダ税関訪問を含めて全行程をカバーしました。ブラッセルではWCOを表敬訪問し望外にも御厨SGにもお会いすることが出来ました。また、ベルムースト氏が共同代表を務める法律事務所では、EU対外貿易の現状等についてブリーフを受けるなど思い出深い出張となりました。

2019年2月28日 掲載
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